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対話の元は「声の文化」?

2017-02-27 | ブログ

『デンマークの教育を支える「声の文化」~オラリティに根差した教育理念~』

という書籍を読みました。

声の文化

 

https://www.amazon.co.jp/デンマークの教育を支える-声の文化-オラリティに根ざした教育理念-児玉-珠美/dp/4794810539/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1487925420&sr=8-1&keywords=デンマークの教育を支える+声の文化

弊社のワークショップでも、対話を重視して進めるようになってきました。

対話で進めるのがぴったり!と思う案件が増えてきています。

 

そんなとき、以前NHKの番組で、対話によって社会課題を解決しようとしているまちがあるとデンマークのオーフスという市が紹介されました。

http://www.nhk.or.jp/documentary/aired/150207.html

 

その社会問題とは、若者がデンマークを捨ててISに行ってしまう。デンマークで描いていたイメージと違うと言ってデンマークに戻ってくると社会的に疎外されてしまう。それは、移民だけでなくデンマーク国民であっても、社会的な阻害感を感じている、孤立している若者(高学歴の若者もすくなくないのだとか)が多いというものでした。社会的な疎外感から社会的暴力へ転換していく…。それを防ぐためには、社会的包括(インクルージョン)を推進していくことが必要で、それはその人一人一人と対峙し、傾聴して対話することだとして、市として対話を進めている(オーフス モデル)というような内容の番組でした。

そのデンマーク発の「対話によって社会的統合を形成していく」という考え方の中心にあるものが、以下の「声の文化」だったのです。

ouen_man

 

声の文化のご紹介

デンマークの教育の基本理念は、デンマークの哲学者N・F・S・グルントヴィ(1783-1872)が構築した『「生きた言葉」と「相互作用」による対話」が根幹にあるとされている。

https://ja.wikipedia.org/wiki/ニコライ・フレデリク・セヴェリン・グルントヴィ

https://ja.wikipedia.org/wiki/ニコライ・フレデリク・セヴェリン・グルントヴィ

 

この理念をクリステン・コルが教育現場で具現化したと言われている。

言葉の定義として(本文p8より)

・オラリティ…声の文化 声としてのことばの性格

・リテラシー…文字の文化 文字を読み書きする能力

・オーラルな…声の文化に根差した声として機能している、声としての言葉に基づく、声に依存する・口頭的な・口伝えのといった意味

リテラシーは視覚を介した感受方法で、空間を切り離す感覚があるものである。一方、オラリティは聴覚であって、空間を全体的に捉え統合する感覚である。そして、声としての言葉は能動的である。

従って、話される言葉は、人間同士を互いに意識を持った内部(=人格)をして現れさせるため、話される言葉は人々を固く結ばれた集団にかたちづくる。

 

ここから、生きた言葉で語りあうこと「対話」が重要なキーワードであり、自国の生きた言葉こそがデンマーク人にとっての意味があるということが導かれています。「自分たちの実存を相互に確認していくことが可能な日常語を擁護し、デンマーク語によって国民自らを覚醒していくことこそが『啓蒙』である(p41)」となったとのことです。

 

自国の文化、言語に誇りをもって語り合う(対話する)ことを積み重ね、自分のアイデンティティを形成していく過程で、人と人が結ばれていくということも言えるのではないかと考えるのです。

 

まずは、自分の声を出す、対話を続け空間を統合していくこと、そして、自分のアイデンティティを形成していくことで、自分の生きている意味や存在を確認できます。そして、たくさんの人々が語り合うことで統合された空間が生まれていくのだということになるのではないでしょうか。

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対話が世界をくっつける!?

ボウムは「対話は人々の切り離されたこころをくっつける」と言っています。その言葉の源泉はこの「オラリティ」の考え方からきていたのではないでしょうか?(ボウムよりも200年弱、グルントヴィのほうが早く生まれています。)

ボウムは、リテラシーについては科学的思考として人々を分断しているとしています。人々の気持ち、思考が分断されている今、対話のもつ意味は重要になってくると言っています。

 

また、参加を意味する‟participate”は、入るというような意味ではなく、分け合うというような意味だったそうです。統合された社会を分け合って住む、生きるというようなものだったのだとか。

「対話」によって、もう一度、新しい統合された社会を作っていこうということなのかもしれません。

https://ja.wikipedia.org/wiki/デヴィッド・ボーム

https://ja.wikipedia.org/wiki/デヴィッド・ボーム

 

ワークショップでも

いろいろな人と対話しながら進めるワールドカフェを代表とするホールシステム・アプローチ。一度でもその効果はあるような気がします。

数回同じメンバーで進めると、さらにつながっているような、同じミッションを分かち合って進めているような気持になってくださるようです。

これは、「対話」の賜物なのだなぁと感じることがよくあります。

従来のようにグループに分かれて、それぞれで作り上げた結論を最後に合意するというよりも、参加したみなさんの心の距離が近くなっているような気がします。

対話する前に「声」を出してみること。恥ずかしがらずに声を出してみることを促すようなインストラクションができるよう、試行錯誤を重ねていこうと思いました。

 


 
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