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2020年 3月

『市民参加の新展開』財政の視点からの市民参加!

2020-03-23 | ブログ

昨年、お目にかかったこのご本の著者、兼村先生に勧められて拝読いたしました。

実は、ツンドクになっていました。(先生、ごめんなさい)

イマジン出版さんのCOPAブックスのシリーズなので、とても読みやすいもので、読みだしたら一気に読めました。

『市民参加の新展開 ~世界で広がる市民参加予算の取組み~』兼村高文(編著)イマジン出版、2016年

市民参加の新展開 -世界で広がる市民参加予算の取組み (COPA BOOKS 自治体議会政策学会叢書)

(https://www.amazon.co.jp/s?k=市民参加の新展開&__mk_ja_JP=カタカナ&ref=nb_sb_noss)

 

 

財政学者の兼村先生がお書きになった「市民参加」?

申し訳ないのですが、市民参加と財政の関係を最初は理解できず…でした。

よく考えてみれば、財政は何のためにあるのか?を考えると関係は大きいはずでした。

市民、国民の幸せのためにあるのですよね。

 

これを前提にして、財政の視点から市民参加を語っていました。

市民参加に対して、どのように財政を分配するのか?それを実現するカタチとして世界の中で、日本の中でどのような取り組みがあるのか?について調査報告がありました。

 

ブラジル ポルトアレグレ市の市民参加予算の概要

一番力がこもっていて、印象に残ったのは、ブラジルのポルトアレグレ市から始まった「市民参加予算」でした。

市の予算は、ご存知の通り、通常、市長:行政が提出した予算案を議会が議論、議決するということになっています。予算案をつくるのは、行政が考えます。

ところが、ポルトアレグレ市では、この予算をつくるところで市民が直接話し合って予算の優先順位を決めていきます。

(https://www.google.co.jp/maps/place/ブラジル+リオグランデ・ド・スル州+ポルト・アレグレ/@-28.9236015,-69.9211741,4z/data=!4m5!3m4!1s0x95199cd2566acb1d:0x603111a89f87e91f!8m2!3d-30.0346471!4d-51.2176584)

 

「ブラジル ポルトアレグレ」の画像検索結果(http://himitsu-t.jp/post-269/)

 

【背景】

ブラジルでは、「社会主義政党の労働者党が総選挙で勝利し政権をとり、1988年に新憲法を制定しました。

軍事政権の下で制限されていた地方自治は、政権交代とともに民主化と地方分権化が進められて強化されました。(p55)」

このような社会情勢の中で、「ポルトアレグレ市では、市長になったドゥトラ氏が市民組織と共に協議を重ねながら市民にとって効果が目に見える仕組みに作り上げていった(p56)」とのことでした。

【目的】(p56)

  1. 政治的・経済的活動から置き去りにされた人々に声を上げる機会を提供することで草の根民主主義を実現する
  2. 人々の指示を得ることで議会の多数派を攻略することとなる
  3. 前政権から続いていた政治腐敗を撲滅し政策の透明性を高める

ということでした。

 

実際に行ってみると、自分たちの困っていることに優先して予算を使えるので、成果を実感できるようになりました。そうなると、参加者は年々増えていき、より成果を実感できる機会も増える…という循環が出来上がっていったようです。

(抑圧されていた中から立ち上がっていくときに、ここがよくなったなぁ、暮らしやすくなったなぁと感じることは、自分たちの納めた税金がちゃんと自分たちのために使われているということが目に見えてわかる!それは、市に対する信頼ができ、やる気がでてきそうです。)

そして、さらに市民参加が促進される。

(出典:http://jichisoken.jp/publication/monthly/JILGO/2012/07/kanemura_hong1207.pdf)

 

【課題】(p62)

ところが、この仕組みには課題もありました。

  1. 長期的にみると、このプロセスには多くの経費が必要となること

    (1年を通して小さな会議から大きな会議まで行われることから、準備から運営まで費用がかかる)

  2. 市民参加予算を機能させることの難しさがあること

    (この予算には立法権がないため、議会での議決を必要とする。そのため議会の予算案にどこまで取り入れるかは議会が決めることになる)

    投資的予算の15%ほどが割り当てられていた。

 

課題はあるものの、ブラジル国内で2005年に少なくとも250都市で導入されているとのことです(p62)。

ここからすれば、課題を越える何かがあるということなのですね。

 

 

日本でも、千葉県市川市と愛知県一宮市では、個人の市民税のうち1%は公益活動団体に納税者が指定して、交付できる(p101)ことになっているそうです。

(市川市の1%条例の調査レポート:https://www.spf.org/pdf/publication/other/parcent/3.pdf )

 

【そもそもの課題】

議会(間接民主主義)と市民参加(直接民主主義)には、それぞれの権限を侵すのでは?ということが懸念されることが多く、ハーバーマス(『事実性と妥当性(下)』未来社、2003年)や篠原一(『市民の政治学』岩波新書、2004年)などもその整理をしています。

 

(https://www.amazon.co.jp/事実性と妥当性―法と民主的法治国家の討議理論にかんする研究〈下〉-ユルゲン-ハーバーマス/dp/4624011635/ref=sr_1_2?__mk_ja_JP=カタカナ&dchild=1&keywords=事実性と妥当性&qid=1584952676&sr=8-2&swrs=A887FC781716C769A3DF995128F32306)

(https://www.amazon.co.jp/市民の政治学―討議デモクラシーとは何か-岩波新書-篠原-一/dp/4004308720/ref=sr_1_1?__mk_ja_JP=カタカナ&dchild=1&keywords=市民の政治学&qid=1584952603&sr=8-1)

 

議会を市民が選挙で選ぶのは第1の回路、市民参加は、第2の回路として議会の権限を補完するというような考えが主流の様です。

ハーバーマスの回路(林作成)

市民の代表が市長であり議会であるのですが、市民の幸せのために市の予算があるのであれば、直接に市民が意見を言う場があってもよいのでは?とも考えます。

 

自治体の予算は、行政の領域なので、一般の市民からは遠い存在だと思っていました。

(これも、そもそもの課題ですね。もっと視野を広げないと!)

本当は一番身近なものでもあります。

(予算がつかないと活動ができないこともあるでしょうし、予算が削減されたので、活動を縮小するということもありますよね)

市民参加はさまざまな場面で言われていますが、活動の一つとして予算への市民参加もあるのだなぁと思いました。

ただ、そこに参加する市民がポルトアレグレ市のように貧困層や社会的に排除されていた市民も入っていないと目的が果たせないのだろうなぁと思いました。

日本では、子育て中の方々が何を望んでいるのか?とか、目下のコロナウィルスの影響で困っている人々はどんな人で何を望むのか?なども予算に反映できると成果を感じられるのかもしれません。

議会は、それらが公共の福祉と競合しないのか?というチェックをすることを担う必要がありそうです。

 

 

そして、ファシリテーターとしては、さまざまな人の意見を引き出し市民の討議を促進するというところにお役に立てるのでは?と思います。

(むしろ、微力ではありますが、そのために弊社は設立されました)​

ハーバーマスの回路では、第2の回路である市民社会の枠内が一番研究が進んでいます。

・討議デモクラシーでは、さまざまな討議の方法があります。(ここは、ファシリテーターが重要なカギを持っています)

・住民投票の場面でも、住民投票前の情報共有から対話までの間に。

(もちろん、第一の回路でも活用したいです)

 

​*意思決定する前には人と人が対話する、話をすることが必要で、そのような場面では、ファシリテーションのスキルやマインドが欠かせないことを再確認したご本でした。

『測りすぎ』らしいです。

2020-03-12 | ブログ

刺激的なタイトルに惹かれて、読んでみました。

『測りすぎ ~なぜパフォーマンス評価は失敗するのか?~』

ジュリー・Z・ミューラー(訳:松本裕)

(https://www.amazon.co.jp/測りすぎ――なぜパフォーマンス評価は失敗するのか-ジェリー・Z・ミュラー/dp/4622087936/ref=sr_1_1?__mk_ja_JP=カタカナ&keywords=測りすぎ&qid=1584011681&sr=8-1)

著者は、アメリカのカトリック大学歴史学部教授、近代ヨーロッパ知性史、資本主義の歴史をご専門に研究していらっしゃる方です。

歴史学者がいう「測りすぎ」ってなんだと思いますか?

 

おおざっぱに内容を要約すると、

今の社会、なんでも数値化して、それをもとに評価したり、戦略を立てたりしています。

それで本当に組織やそこにいる人、社会が良くなったのか?という問いかけから始まります。

その検証を歴史学者ならではの歴史的な史実をもとに、大学や医療、ビジネス、慈善事業などの場面に分けて行っていきます。

最後には、数値化する上での心構えやチェックポイントも提起しています。

「イラスト無料 測る」の画像検索結果

1.測定執着

測定執着:文化的パターンの一つとして「人々が世界について話すその方法に影響を与え、したがって人々が世界についてどう考えるのか、そして世界でどのように行動するかにも影響を及ぼす(p18)」ことを測定基準への執着(略して測定執着)と呼んでいます。この中には3つの執着の要素があります。

 

この測定執着の前提は、「測定できるものはすべて改善できる」という考え方から始まりました。

始まりは19世紀の物理学者ケルヴィンの格言「測れないものは改善できない」から来ているとのこと。

これをもとにして、「測れないものは改善できない」→「測定されるものは実行される」→「測定できるものはすべて改善できる」と展開していったとのことです。

そして、今では「実績は標準化された測定に落とし込める」ものと同一視されています。

 

これを信じる人々が「説明責任」のための「透明化」を求めると「誠実さのためには、可能な限り多くの情報を明らかにし、可視化することが求められているのだと示唆する場合が多い」ということになります。

その結果は、より多くの文書化、さらに多くのミッション記述書、もっと多くの「目標設定」が要求される。

 

 

(ことになってきます。

心当たりがありますよね。なんでこんなに書類が増えたんだろう?これ、本当に必要なのかな?とか…。)

 

そして、これらが実践されたときに起こる意図していない結果が、生じているにも関わらず、その信念が持続している状態を測定執着と呼んでいます。(執着という表現までいっていることが、懸念されているところなのですね)

 

もちろん著者は、測定することを全く否定しているわけではありません。測定することで解決策を考えることができる場合、問題解決に貢献する場合もあると認めています。

ただ、使い方、活用の場によって負の効果があり、それを分かっているはずなのに、やめられない…。

 

これは、テイラー主義からきていて、労働者に対して科学的管理をしていくには測定すること、測定したデータに基づいて管理をすることが経営学の主流となったことが背景として挙げられています。

これにコスト主義が加わってさらに数値化されていく…。

「イラスト無料 何で」の画像検索結果

2.外的報酬と内的報酬

今は、測定執着が負の側面を見せやすいのが、特に人事面のようです。

報酬を決める際に、組織の中の自分の(部署の)目標と自分の目標設定と達成率がポイントになっているということを耳にすることがあります。

その設定の仕方、達成率の測定方法などにも、たくさんの課題がありそうですが、まちづくりに携わっている身としては、いちばんしっくりくる件がありました。

それが、「外的報酬と内的報酬」でした。

 

いわゆるビジネスマンと非営利的な組織で働く人々とモチベーションの違いと評価の食い違いです。

外的報酬が効果的な場合

企業は利益を上げる事が目的であってそのために従業員も働いています。なので、従業員は、報酬が増えること、昇進することが目的となってきます。(これで認められたと思い、ステータスになってきます)

ただ、その作業や会社の営みそのものを維持していくための(ある意味)ルーティンの仕事が評価されにくい。

内的報酬が効果的な場合

ところが、非営利的な組織、例えば、学校や大学、病院、政府機関などで働いている人たちの多くは、報酬はないと困りますが、組織のミッションに対して働くということがモチベーションになっています。報酬そのものよりも、教えることで会ったり、研究することであったり、病気を治すことであったり、自分や組織のミッションのために仕事をしていると思われるセクションの人たちがいます。

そのような場で企業のような測定と外的報酬を実施していくと、そこで働く人たちのモチベーションが変化してくるというのです。

外的報酬を目的とした評価→これだけのことをしたら、これだけのお給料しかないのであれば、これだけやっておけばいいでしょう。→組織のミッション達成に近づけるというモチベーションが低下する。

となっていくのだそうです。

外的報酬で実績を向上させられるというのは、当てはまらない場合があるということのようです。

 

この違いは大きいです。まずは、組織の目的を明確にして、どのような仕事をしてほしいのかを考えた上で測定項目を決定することが重要なようです。

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3.測定項目を決めるときに考えること

この本は測定することを前面的に否定しているのではありません。

測定をするときに、こんなことを考えましょう。それをどのように判断していくかも考えましょう。10のチェック項目の提起が最後にあります。

これらをクリアして

重要なのは定量化できない経験と技術。

これを認識して、「測定基準にどの程度の重みをもたせるのか、その特徴やゆがみを認識できているか。そして、測定できないものを評価できているかどうかわかっていることが重要となる。」ということでした。

 

ファシリテーターを学ぶときにも…

ファシリテーションを学ぶ過程で、必ず出てくるのがスキルとマインド。

スキルは、これができるようになった。あんなやり方があるらしいけど、どうやってやるのかな?と具体的に文字にできる「スキル」があります。

これは、何度かやってみるとできるようになっていきます。

 

ところが、マインドはなかなか難しいのです。

心構えというか、覚悟というか、何をミッションとしているのか…

文字にしようとすると文字数が増えるけれど、中身はこれだ!と言い切れない。人によって異なる。というやっかいなものです。

でも、このマインドがしっかりしていないと、対話の場をホールドするということが難しいのです。

 

ファシリテーション協会(FAJ)というファシリテーションを学ぶNPOがあります。

1500人くらい会員がいて、ファシリテーションを学んでいます。

この中でも、対話の場と言われる「ワールドカフェ」や「OST(オープン スペース テクノロジー)」などを参加者にとって気持ちの良い、話ができたなぁ、いろんな気づきがあったなぁというような感想を持ってもらうことができる人は多くはありません。

対話の場にこそ、そこにいるファシリテーターのマインドが反映されてしまうのです。

なかなか定量化、数値化できないところなのです。

説明もこのスキルを持てば、ワールドカフェのファシリテーターになれるというのがないのです。

人間力とかキャラクターとか、とても抽象的な言葉で表現されます。

 

きっと、著者の言う「言葉にできない経験や技術」がファシリテーターのマインドと近いものだろうなぁと思いました。ファシリテーターとしては、その部分を評価されるととてもうれしいです。

(野中郁次郎さんの「暗黙知」のようなものを評価しましょう!という意味なのかな?と理解しています。)

(https://www.amazon.co.jp/知識創造の方法論-野中-郁次郎/dp/4492521364/ref=sr_1_18?__mk_ja_JP=カタカナ&keywords=野中郁次郎&qid=1584012222&sr=8-18)

ちなみに、私の場合は…

まずは、内的報酬があるのか?(ご指名いただけること自体ありがたいでで。そして、明確なミッションを持ってファシリテーターとしてその場にいられるのか?自己成長できるのか?などなど)ということがとても大きな要素です。

もちろん、外的報酬が多いのもありがたいです。


 

ニュースレター第102号「商店街オープン無事終了しました」

2020-03-03 | ニュースレター

昨年11月から取り組んできた、「商店街オープン」

先日、無事に2店舗終了しました。

最終日の「お披露目会」は新型コロナウィルスの影響で、全員マスク着用、アルコールで消毒の上、

交流会は中止…(プレゼンはありました)

こんな中でも、申し込んでくださった地域の方々もご参加いただいて無事にお披露目ができました。

 

ワークショップが終わっても、本番はこれから!

本格的オープンに向けて、これからより具体的なことを詰めていきます。(とても楽しみです)

参加者全員が応援団です!

行きつけのお店が一度に2つもできそうです。

 

ニュースレター第102号「商店街オープン無事終了しました」

ご覧くださいませ。

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