2025-05-29 | ブログ
先日、伊勢湾台風を体験した方々のお話を聞くお手伝いをしました。
このごろ、言語化が気になっているので、大きな学びがありました。
伊勢湾台風について
伊勢湾台風は、昭和34年9月26日に東海地方全体を襲った最大級の台風です。
特に名古屋港あたりは、洪水だけでなく高潮の時間にも重なって、甚大な被害がありました。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E5%8B%A2%E6%B9%BE%E5%8F%B0%E9%A2%A8
名古屋市で特に、伊勢湾台風の教訓を活かしていこうという想いがあるようです。
(当時の写真がまとまってアーカイブされていましたhttps://typhoon.yahoo.co.jp/weather/calendar/109/)
そして、懐かしすぎますが…
山口百恵主演の赤いシリーズ第3弾「赤い運命」は、伊勢湾台風で子どもが入違ってしまったことから、ストーリーがはじまるというものでした。
(1976年のテレビドラマで、このころは、全28回もあったのですねhttps://www.tbs.co.jp/tbs-ch/item/d0366/)
これだけ続けば登場人物へのコミットも高くなりますよね。
毎週、この時間までがんばって起きていた記憶があります。
さて、そんなドラマが生まれてしまうくらいの衝撃的な災害。
実際に体験された方々で語れるくらいの年齢だった方は、今はご高齢。
貴重なお話をお伺いしました。
たくさんあるのですが、例えば…
当時、名古屋市の港区では、農業、漁業を営んでいる家が多かったようです。
漁業を営んでいらしたお内では、漁船に乗り込んだので、洪水は乗り切った!とのこと。
乗っていた船は堤防の上にまで水で押し上げられ、潮が引くとともに、下がるという…
言われてみれば、そうなのでしょうが、本当にそんなことになるとは!
また、農家だった方は、お米を屋根裏に保存していたので、コメには困らずに済んだ、とのこと。
屋根裏に備蓄してあったワラでお米を炊いたそうです。
そして、当時は、農業用水路3m、リヤカーが通る道が1mというくらい、舟で移動していたこともあり、
台風が去った翌日からは、舟で移動できた!とのこと。
食料は、自衛隊が2~3日後にはピンポイントで投下してくれた!
(今よりも、行動が早かったのでしょうか?)
そして、小中学生は、西区や北区の小学校へ2か月ほど疎開したというお話も聞きました。
(避難ではなく、疎開!とのこと)
その間、大人は地域の復旧復興に尽力していたそうです。
12月に入る前に、子ども達は家に(?)戻れたそうですが、まだ、ヘドロが乾いておらず(!)
毎日、一輪車とスコップを持って学校へ行き、ヘドロの除去、と、机やいすを近くの池で洗っていたそうです。
冷たくてねぇと、おっしゃってました。
もう、書ききれないくらいのいろいろな貴重なお話を教えていただきました。
ありがとうございました。
生の言葉の力はすごい
以前、FAJ(日本ファシリテーション協会)の定例会に阪神淡路大震災の語り部の方がゲストでいらしてくださいました。
そのときも、私たちのような一般の、普通に暮らしていた人が経験したことを教えていただきました。
もう、臨場感がすごくて…
たぶん、普通の暮らしという視線からのお話なので、私たちにも想像しやすく、臨場感もたっぷりなのですね。
食べる事も忘れて、瓦礫を掘って、掘って…
ツメがはがれて痛いということも、気にならず。
ご主人との思い出のピアノが出てきたときは、泣くことができた。
とか…
忘れっぽい私でも、「ああ、あのとき、語り部の〇〇さんは、こんなことをお話してくれたなぁ」とふと、思い出すことがあります。
東日本大震災でも、語り部の方のお話は、身につまされます。
震災祈念館での語り部の方も、分かりやすく、感情をできるだけ抑えてお話してくださいました。
先日、沖縄に行ったときの「ひめゆりの塔」でも体験した方のお話が動画で流れていました。
じっと聞いていると、辛くなってきました。
生きた言葉とは、こういうことなのだ!と思いました。
文字にしてあるのを読むのも、もちろん!体験談は、胸に迫ってきます。(名古屋市港区役所の隣に防災センターがあり、そこでは、子ども達が書いた伊勢湾台風の作文が展示してあり、誰でも読めるようになっています)
今は、動画というのもありますしね。(もっと、迫ってきそうです)
記憶というのは、時間とともに劣化していってしまうので、教訓として忘れないようにしておく!
ということが、とても大事なことだと思いました。
その教訓も、語り部の方から直接聞くと、なぜ、そういう教訓が出てきたのか?も納得できて、心に残るということを感じました。
貴重な体験をささせていたせていただきました。
お声掛けくださった方々に感謝です。
2025-05-20 | ブログ
ゴールデンウィークの中、大学院時代の仲間が集まるとのことで、岐阜市へ行くことに。
お隣の県でJRで乗り換えなしで行ける!という便利な場所にあるのに、なかなか行く機会がありませんでした。
集合は18:00
であるならば!あち歩きをしてみよう!と3時間ほど歩いてみました。
コースは、
岐阜駅→伊奈波神社→岐阜公園→集合場所
■伊奈波神社
伊奈波神社までは、バスで!
とても由緒のある神社でした。https://www.inabasan.com/
「開運や勝運、水防の神様として信仰されています。特に黒龍社は強力なパワースポットとして有名で、織田信長とも縁が深く、勝運上昇や挫折しそうな時に力を与えてくれるとされています。」
そして、有名なパワースポットでした。
野生のリスにも会うことができました。
このリスはたぶん、岐阜城のある金華山の山頂にある「リス村」から脱走して、野生化したものらしいです。
リス村は、昭和11年に「躍進日本大博覧会」が開催され、当時珍しいタイワンリスを輸入し、そのリスが野生化しました。
そのリスをリス村で再度飼育しているようです。(捕獲されなかったリスの子孫?)
ここであったリスは、
輸入→野生化→飼育→脱走して野生化(または、捕獲されずに逃げ延びた?)
という少し不思議な運命なリスに会ったのでした。
ちょっと大きめサイズのリスでした。
岐阜公園に行く道が、独特の雰囲気でした。
ひろ~い道がカーブして、見通しが良くて…
齋藤道三、織田信長のまちづくり(要塞としての城)への想いが伝わってきました。
■岐阜公園
伊奈波神社から徒歩で岐阜公園へ
岐阜城のある金華山の麓が公園になっています。
敷地内に岐阜市博物館があったり、名和昆虫博物館がありました。
(名和昆虫博物館の初代館長 名和秀雄さんは、ラジオのDJもしていたことがあり、丁度その頃、私は深夜の放送を聞いていたのでした。)
ついつい、深夜放送のジングルを口ずさんでしまいました(笑)
さらに、岐阜城楽市が4月26日にオープンしたばかりで、とても賑わっていました。
ロープウェイ(で金華山に上り、頂上に岐阜城があります)もなんと、90分待ちという賑わいっぷりでした。
集合時間に間に合わなくなる…と諦めましたが、古くからある公園内の売店の方から
「頂上から見る鵜飼はと~ってもきれいですよ」と教えていただきました。
ロープウェイの営業時間は20:00まで。
鵜飼、見ることができます!
次回は、鵜飼の季節、夕方に来よう!と誓ったのでした。
■岐阜城楽市https://meitetsu-pm.co.jp/gifujo-rakuichi/
岐阜城楽市は、なんと今年4月26日にオープンしたばかり!
物産や食事など、お楽しみの施設がたくさんありました。
(17:00過ぎているのに、たくさんの人が並んでいました。)
名古屋城の金シャチ横丁を思い出しますが、広い敷地の中で余裕の配置でした。
なので、
並んでも余裕で、じゃあ並んでみようかなと思えるような気持になりました。
今度、もっと早い時間に来てみよう!
まちあるきの時間を楽しめる岐阜市内でした。
2025-05-08 | ニュースレター
4月!
会社も学校も、心機一転!フレッシュな気もちになれるときですよね!
昨年度も少しずつ積み上げてきたのですが、今年度は思い切って、
「言語化」を授業の柱の一つにしました。
第1回めの授業の課題として、「オシ」を言語化するに挑戦してもらいました。
その後の授業では、毎回、ふりかえりシートを記入して、言語化のトレーニングをしています。
これは、学生だけでなく、社会人になった(なって久しい)私たちにも、重要なことでした。
コミュニケーションの第一歩!を痛感しています。
どんな成果がえられ得られるか!
楽しみです。
ニュースレター第164号「言語化を意識した授業を始めました」
以下、ご覧くださいませ。