2014-10-27 | お知らせ
10月26日(日)に豊橋市さんの総合計画へ若者の意見を反映させるワークショップのファシリテート(メインファシリテーター)をしました。
10月27日の「東愛知新聞」さんの1面に掲載されましたので、お知らせします。
フューチャーサーチを活用
この催しは「まちづくりカフェ」と題して行われました。
全3回(高校生単独、大学生単独、高校生と大学生のmix)のワークショップです。
ワークショップと言いながら、まちづくりカフェと言いながら(ワールドカフェのようなタイトルです)が、実はフューチャーサーチの手法を用いています。
高校生、大学生それぞれで過去をふりかえり、現在を見つめます。その後、第3回目で一緒に豊橋市の未来を考えるというストーリです。
過去をふりかえると、現在を見つめる目が深く、広くなることは夏に行った幸田町さんでも実証済みでした。
その過去からの流れを踏まえ現在を見つめると、今まで見えていなかったことに気づいたり、新たな視点から見つめることが出来たりします。
若者だって、将来だけを見つめればいい!というものではありませんよね。過去からの先達の残してくれたものを守り、活用して未来を描くことができます。
参加した若者から、より実現可能な提案ができるよう、ファシリテートして参ります。
今後の展開をお楽しみに。
次回は大学生対象です。11月16日(日)
3回目は高校生&大学生で未来を描きます。12月14日(日)
見学可能です。
2014-10-21 | ブログ
先日、ご近所の方が、逃げた飼い猫のチラシを持って「見かけたらご連絡ください。」と我が家へいらっしゃいました。
もちろん、道を歩くときにはキョロキョロしながら歩きました。一週間もしないうちに見つかったらしく、写真のようなチラシをわざわざポストに入れてくださいました。
どなたかが保護し、連絡したのではないか?と推察される内容でした。
こんなチラシをいただいて、「まだまだ地域の力はあったのね!」とうれしい気持ちになりました。
ここで、地域の底力以外に2つのことが浮かびました。
1つは、飼っているペットが逃げたら、飼い主には探す義務があるのだろうか?
もうひとつは、ペットだった亀(その他の外来生物も含めて)の繁殖と駆除(?)の方法
でした。
調べたことやおさらいをご紹介します。
1.ペットが逃げたら?
「動物愛護及び管理に関する法律」というのがあり、飼い主には「逸走を防止するための必要な措置を講ずるよう努めなければならない(第7条3項)」とあり、逃げ出さないようにしておく努力義務があったようです。平成になってから制定されたようです。
もし、逃げ出してしまったら環境省の「家庭動物の飼育及び保管に関する基準」第3条7項で「自らの責任で速やかに捜索し捕獲すること」とありました。
ペットを飼うときには、死ぬまで飼い主には責任があり、家の構造・飼い方をなど工夫して逃げ出さないようにすること、逃げたら飼い主が探すことが法律として、省令(なのでしょうか?)として定められていたのです。
なんとなく、そのような法律ができたことは耳にしていたのですが、確認するきっかけになりました。
もっとも、飼い主の方は、チラシをもっていらした様子から、遵法意識というよりも逃げた猫が心配でたまらなかったのだろうと推察しました。
写真のチラシから、飼い主さんのうれしい気持ちと地域の方々の気持ちが伝わってきました。
2.ペットだった亀が捨てられると
逃げたら探してくれる飼い主がいる反面で、捨てられてしまうペットがいます。アライグマや亀、ブラックバスやブルーギルなどの外来生物です。はじめはお金を出しても惜しくないと思い購入され、可愛がられていた動物も年月が経ち、転居のために動物を飼えなくなったり、予想よりも大きくなってしまったり、長生きしてくれたり、もしかしたら飽きてしまったり、世話が面倒になったり(?)という理由から、ペットと一緒に暮らせなくなってしまいます。
すると、保健所へ連れて行かれたり、そのまま野や池などに放されたりしてしまいます。
矢部愛知学泉大学教授(愛知学泉大学にはカメハウスがあり、捕獲されたカメが保護されています)によりますと、「亀は万年生きるという話の真偽は証明できない」らしいのですが、少なくとも矢部先生が飼育していらっしゃる亀は35年以上生きているとか。もしかしたら、人間よりも長寿なのかもしれません。ということで、矢部教授は、「カメを飼うときは本当に何十年も世話ができるのかをよく考えてからにしなくてはいけません。」とおっしゃっています。
近頃、用水路や道路、池などで発見される「ミシシッピアカミミガメ(小さい時はミドリガメと呼ばれています)」「ワニガメ」「カミツキガメ」も、アメリカあたりから輸入され、売買され、飼育されていたにも関わらず、捨てられてしまい、繁殖しているそうです。現在は逆に、アメリカの方では絶滅危惧種だそうです。
その繁殖が日本の在来種を脅かし、絶滅へと近付けてしまっているのです。これらのカメに罪はなく、人間が嗜好のため、寿命や大きくなることを想定せずに飼うことがよろしくないと矢部教授はおっしゃいます。
ただ、その繁殖力は目を見張るものがあるため、駆除したりしなければ在来種が絶滅する・・・
そのようなジレンマの中で、日本全国で外来種の駆除が行われているそうです。ただ、この活動は、行政だけで行うのは難しく、市民の力を借りて行っていかなければ成り立たないそうです。
カメの駆除にも実は「動物愛護 及び管理に関する法律」が関係しています。第41条には「出来る限り苦痛を与えない方法で」とあります。
カメたちは、池で捕獲され、冷凍庫に入れらます。そこで脳の活動を停止させ、死んでしまったことが確認できてから焼却をするそうです。放置して餓死させるとか、いきなり焼却するとか、荒っぽい方法は採ってはいけないのです。
すると、駆除するには、大きな冷凍庫(冷蔵庫でも可能?)が必要になってきます。育って予想外に大きくなってしまていたり、予想外に多数匹が繁殖していたりするカメを駆除するためには、それが入るだけの大掛かりな装置が必要になってきます。
そのような装置を用意できる団体はどのくらいあるのでしょう?小さいものであれば、駆除するよりも繁殖の方がスピードが速いかもしれません。
最後に
動物愛護は大切な考え方です。猫や犬の虐待のニュースを見ると心が痛みます。ただ、一方で、その考え方が足かせとなって日本古来の在来種は姿を消してしまうかもしれません。
一律に適用するということが課題になっているのです。心情的には飼い猫や犬は表情がわかりやすいので、殺処分を想像するだけで悲しくなります。カメに想像が及ばないのは、一方的なのでしょうか?
いずれにしても、思案のしどころなのですね。
かわいい猫のチラシから調べたことのご報告でした。
2014-10-06 | ブログ
昨年8月に住民の方々とワークショップでデザインを考えた3つのポケットパーク。この中の2つのポケットパークの一つにはシロツメクサ、もうひとつにはアカツメクサを植えました。
わざわざこんな草を植えた理由は・・・
参加した高齢女性から出た言葉が発端でした。「いまどきの子は、草を取って遊ぶということがないみたい。」「じゃあ、ポケットパークで遊べるようにしたらいいのでは?」こんな呟きからはじまりました。
この呟きを岡崎市の職員がデザインして、形にしてくださいました。
そして、オシャレにシロツメクサとアカツメクサを植えることになったのです。
今年の5月~6月にかけて完成したポケットパーク(シロツメクサのポケットパークでのイベントはニュースレター(http://social-acty.com/blog/607/)をご覧ください。
シロツメクサの方は、市所有の土地からの移植でしたが、アカツメクサの方は、市の職員の方が種を撒いて育ててくださいました。
子ども達の反応は?
ポケットパークはそれぞれ町内会、子ども会、女性会が担当を決めて掃除をしてくださっています。
アカツメクサのポケットパークの掃除は子ども会の担当です。9月はじめに掃除をする時、市職員の方がアカツメクサやオオバコでの遊び方を伝授したところ、たいへん盛り上がったそうです。
たぶん、子ども達は
・ 草を取ってもいいと思っていなかった
・ 草で遊んだことがなかった
のだと思われます。公園や学校の草を取ってはいけないと言われて育っているので、勝手に取るなんて思いもよらないことだったのでしょう。生まれて初めての体験だったのかもしれません。
草で遊べるなんて思ってもいなかったのでしょうか?そういえば、この地区はいつの間にか緑が少ない地域になってしまっていたのです。草で遊ぶことに子ども達の考えが及ばなかったのかも。
もっと遊べるように!
このときの盛り上がりがうれしかったのでしょう。その場に居合わせた市の職員の方は、ポケットパークの一角にオオバコ、エノコログサ(ねこじゃらし)、オナモミを植えました。びしっと直線に並べて植えられ、雑草とは思えない待遇です。
そろそろオナモミ(くっつき虫と呼んでました)が実ってきます。次の掃除の日が楽しみです。
きっと、また盛り上がりますね!
少しずつですが、遊び方を教えてあげていくことで、子ども達の中で草を使った遊びが浸透していくだろうと思います。そのうちに大人の手から離れて、自分たちで新しい遊び方を考えていくことも期待できます。子どもは本当は遊びの天才ですから!
創造力を養い、手と頭を使う、体を使う、子どもにとって必要な「遊び(=学びなのです)」になっていくのだと思います。
呟きからはじまったアイディアが文字通り実を結びました。市民が参加するというのはこんな素晴らしい空間を創り、そこに想いや生命を乗せることができるのだと思いました。
これは、「協働」の醍醐味なのかもしれません。
2014-10-03 | ニュースレター
小学生からご高齢の方までが一堂に揃って、ポケットパークに敷き詰めるブロックのデザインを考えました。
駅、まちの歴史をひも解くと、地域愛、地域アイデンティティが一層強くなってくるようです。そして、その想いを未来に向けて残して行きたいという気持ちになるようです。それは、年齢は関係ないのかもしれません。
そんなことから、異世代が協働するということが進んでいくのかもしれません。
ニュースレター39号、ご覧ください。
2014-09-28 | ブログ
愛知県安城市にある「デンパーク」に行ってきました。
デンパークは安城市が「日本のデンマーク」と呼ばれていたことから名づけられました。そのご縁でデンパークの竣工に合わせてデンマークのコリング市と姉妹都市となったそうです。
いつも美しい花が植えられており、手入れも行き届いている、とても気持ちのよいスポットです。http://denpark.jp/outline.html
いつもは平日に行くのですが、久しぶりに休日に訪れました。平日は閑散としている、というよりも誰もいない「LEGO」が置いてあるスペースにたくさんの子ども達が遊んでいました。初めて遭遇した場面でしたのでご紹介します。
LEGOの魅力?!
「花の温室」内にあり、ギフトショップの家々が並ぶ中の一軒がすべてLEGOのスペースになっています。お部屋は3つあり、各部屋にLEGOが置いてあり、自由に遊ぶことができます。
この日は、写真のように3つの部屋は子どもたちでいっぱいでした。
3歳くらいから小学校低学年くらいの20人近くが遊んでいました。大きいサイズのブロックでしたので小さい子が多かったのかもしれません。
1時間以上、夢中で遊んでいる子も多かったようです。みんなゲーム機に触ることなく、車をつくってその車で遊んだり、知らない子に話しかけたり、一緒に作り始めたりと、LEGOを介して同じ空間にいる仲間のような雰囲気の中で遊んでいました。ばらばらのようでいて、一体感もあるような雰囲気でした。
子ども達をみていると、LEGOは自分の頭と手を使って形を創っていくは当然ですが、自主的な行動であり、想像し、発見し、気づくことなどがふんだんにある体験なのだと改めて思いました。また、その行動の中にいるのは、同じ空間を共有し、同じことをしている仲間であったり、時にはステキな組み立て方を見て刺激を受けるライバルであったり、協働するパートナーになったりする人達です。
年齢の異なる子ども達がこのような関係性の中で遊ぶ、というのはこのごろ見かけないような気がします。
とても大切な体験ができる空間なのかもしれません。
さらに、観察をしていると、お父さんは一緒に、というよりも自分の世界に入って自分の作品を創っていました。そして、自分の子どもに作品を見せ、自慢している(?)光景がちらほらありました。
大人にも魅力的なのですね。
親子で(ちょっと本気で)一緒に遊べるという意味でも、貴重な空間のようです。
この空間、想像力を育てること、考察力を培うこと意外にも、効果があるような気がします。
異世代で楽しめるということは?
異世代が一緒になって、(子どもを遊ばせるという感覚ではなく)大人も子どもも真剣に取り組める、このような空間や時間が地域内で持てるとしたら、どうなるのでしょう?
一緒に作業した、一緒になって遊んだ、発見した・・・その時、大人も真剣だった。
このような体験が子どもたちだけではなく、大人にとっても思い出の場所となるのではないでしょうか?そこを通るたびに、「ここで、あんなことしたな」「あのとき、あの人がこんなことしてくれたな」と画像と物語で思い出すのでは?と思います。
異世代で真剣に取り組んだことは、心の深くまで浸透していく楽しい思い出になるです。その思い出が子どもたちを「あの場所に帰りたい」「自分の子どもにもあの体験をしてほしい」「あそこで子どもを育てたい」という気持ちにさせるようです。
コーポラティブハウスの20年後を追跡調査した延藤安弘先生の『マンションをふるさとにした ユーコート物語』で、そのことが検証されています。
住民のみんなで、大人も子どもも協力して共有空間を整備していったユーコートでした。その20年後は、普通なら子ども達はそれぞれの進路によって家族もコミュニティもバラバラに住んでいる、という姿が想像できます。
ところが、ユーコートでは、一旦外に出た子ども達が、そのマンションに戻ってきているのです。マンションに入れない人は、周辺のマンションに住むという選択をしています。
これは、子どもの頃の楽しい体験を「自分の子ども達にも味あわせてあげたい」「あの時のような環境の中で育てたい」という親になってからの想いがそうさせているのです。
子どもの頃のコミュニティの中で育まれたという体験がどれほど心に深くしみ込んでいたのか、ということかもしれません。
子どもを遊ばせる、ではなく「大人も真剣に向き合う」ことが子どもにとって重要な体験であるということだと思います。子どもは敏感で大人をとてもよく観察しています。この大人は教えようとしているのか、本当に楽しんでいるのか、など、大人のスタンスをしっかりと理解して、適切な対応をします。大人が真剣にとり組んでいることが分かると、子どももそのように対応します。
子どもと大人が、お互いに協力して何かをするということが、まちづくりの基本なのかもしれません。

