2017-05-24 | ブログ
『哲学する子どもたち ~バカロレアの国 フランスの教育事情~』
中島さおり著、河出出版、2016年
https://www.amazon.co.jp/哲学する子どもたち-バカロレアの国フランスの教育事情-中島-さおり/dp/4309247814/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1495434957&sr=8-1&keywords=哲学する子どもたち
を読みました。
この頃、気になっていた各国の「教育事情」に加えて、日本でもアクティブ・ラーニングが導入されつつあります(と言っても、言葉は「能動的学習」となりましたが)。
アクティブ・ラーニングはPISAの学力調査を意識した取り組みでもあるのだろうと想像しています。
PISA調査は、OECDが3年に1度行っているテストで、知識のみを問うものではなく、知識を活用して思考し論述してキーコンピテンシーの習熟度を問うものです。
なぜ、経済団体であるOECDが教育について調査するのか?が気になります。それは、グローバルな経済、グローバルな社会になっていくにつれて、多様な人種、多様な文化をもつ人々が一緒に仕事をしていくことが想定され、その際には、話し合って合意することが求められます。異なる背景をもつ人々なので、あうんの呼吸は期待できません。お互いが納得して出した答えでなければ仕事は進みません。また、ICTが進展すると知識だけもっていても活用できなければ、ICTの方が正確で速い!ということになります。知識をつなげて思考する。これが今後の経済を担う人材に求められているのです。(そこに、話し合い、合意していくというスキルが必要になってきます)
長らくPISA調査で1位にあったフィンランドは、授業に論理的、話し合いの要素をふんだんに入れ、そこから気づきや学びを子どもたちが自分でつかみ取っていく進め方をしており、フィンランド・メソッドと呼ばれています。このフィンランド・メソッドには、ファシリテーションの要素やスキルがちりばめられていますので、FAJ(日本ファシリテーション協会)では、10年ほど前から話題になっていました。
北欧の国々はPISA調査の結果は上位にあり、さらに合計特殊出生率も先進国の中では高いということをみると、何か関連があるのかもしれないと思えてきます。
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/1550.htmlより
そして、北欧に加えてもう一国。フランスが合計特殊出生率が上向いてきています。
その秘訣の一つは、以前のブログ(「子育ても勉強すれば、安心『フランスはどう少子化を克服したか』http://social-acty.com/blog/date/2017/01/)にも記載しました。
では、そのフランスはどんなことを学校で学ぶのでしょう?そこをこの本では体験談として書かれています。
高校生の論述を学ぶ
前提として、フランスも移民が増えています。移民の子どもたちにも平等に教育を受ける機会があることを保障しています。
移民の国では、道徳といっても一様な価値観というのはありません。それぞれがもつ異なる文化や宗教の背景があるからです。
しかし、どんな文化をもっていても、何かを決断するときの考え方の「軸」は必要です。それをフランスでは「哲学」を学ぶことで考え方の「軸」をおしつけではなく、子どもが自分なりに形成していくことを助けているようです。
そして、「『高校最終学年で勉強するのは哲学ではない、哲学することなのだ』とフランスの哲学教師たちは言う。(p35)」
学ぶことは、「哲学者の考えについて学ばないわけではないが、それが目的ではない。それを使って自説をどう展開するかのほうに、はるかに重きが置かれているのだ。(p35)」というのです。
そして、その目的は「哲学を通じて自由に考える市民を養成すること(p36)」。
市民ひとり一人が考えるというのは、民主主義の基本です。その軸をつくっていくのですね。さすが、フランス革命の国、市民が自由と権利を獲得した国だなぁと思いました。
ここから、高校生が学ぶ論述の方法をご紹介します。たいへん参考になります。これからは、この方法を念頭に論文を書かなくては!と思い、p40~45をまとめてみました。
「論述とは」
フランスの学校で教えている論述とは、
「哲学についての言述ではなく、それ自体が哲学的な意味でなければならない。つまり、主題についての明確で厳密な問題提起に立脚して、それに対して説を唱えるものでなければならない。説とは、問題への答えである。君達の持っている知識を使いながら、哲学において、可能な説の有効性を証明することである。」
論述の手順
1.序論
(1)与えられた問題をパラフレーズして、自分の言葉で書き直す(リライト)
ここで、出てくる用語を定義していく(概念化)
(2)問題提起:与えられた主題に、論理の一貫した答えが複数あって、それが互いに矛盾するという構図をつくる
論理的にもっともと思われることを二つ客観的に展開して、それを突き合わせることが「考える」ということ(自分の思い込みを一方的に唱えるのは「考える」ということではない)
2.本論
それぞれの答えを発展させる
(1)見つけた複数の答えをそれぞれ極端に推し進めてみる。異なる答えの相互の間に、対立点をたくさん見つけること
3.結論
(1)これら双方の説を調整して別の道を見つけるのが適当であると導き出す
典型的な組み立ては、テーズ(テーゼ)、アンチテーズ、サンテーズ(テーズとアンチテーズの混合であってはいけない)
どこで、哲学者の考え方や文章をつかうのか?
・設問の文章を理解するとき(設問の擁護を理解し、定義する)
・論述の中で、自分の説を裏付けるために引用する(説明され、主題に関係づけられてはじめて根拠となる)
◎先人の考えたことを学ぶことでこそ、自分の考えを発展させることができる
こんなに論理建てた論述ができるのは、知識を詰め込むだけではできません。知識を授業だけでなく、生活にともなうさまざまな判断したり考えたりする場面で知識と関連付けて活用できること、1つの論理による結論だけでなく、もう一つの論理を押しすすめ、そのうえで決断するということを繰り返し行うことが必要とされます。
それは授業やテストのときだけには収まらず、人生の中で「考える」ことが身についているので、あらゆる場面で、哲学的な論述に基づいて結論を導き出していくのだろうと想像できます。
小学生から「哲学」を学び、「論述のしかた」を学んでいると書かれています。
PISA調査(グローバルに経済活動する中で求められる人材を育成するための調査ということができます)にも違和感が少ないのでしょう。異文化の人たちと物事を進めていくためには、このような思考方法が必要だということが見えてきます。
経験から書かれたフランスの教育事情でした。とてもいきいきと書かれていて、自分が母になったような錯覚を覚えながら楽しく読みました。論述のことやPTAの組織や運営のことなど、興味深い内容が山盛りでした。
まだまだご紹介したいことはあるのですが、まずは、哲学を学ぶということの捉え方の違いと、論述の方法を教えてもらっているフランスの学生(論述の方法を教えてもらえるというのが、衝撃的でした)をご紹介しました。
ファシリテーターとしても、プロセスを考える上で何を軸にして考え、実践するのに必要なことだと思いました。
2017-05-10 | ブログ
尊敬する研究者の一人(勝手に尊敬しているだけなのですが)、暉峻淑子さんが「対話」についての2017年1月に著書を出版されました。
(http://www.chunichi.co.jp/article/feature/anohito/list/CK2017032402000251.htmlより)
『対話のある社会へ』岩波新書です。
暉峻淑子さんの書籍『豊かさとは何か』を読んだとき、西ドイツ(当時)の生活の豊かさにふれ、「西ドイツに住みたい!」と思い、ドイツ語会話まで習い始めました。残念なことにドイツ語会話のレッスンは、途中でリタイアしてしまいましたが…。
それほどに影響力のある方が、ワークショップを組み立てる際に大切にしている「対話」をタイトルに出版してくださったことは、大変うれしいことでしたので早速、購入しました。
内容の簡単なご紹介
第1章 思い出の中の対話
心に残る対話の体験、対話の中の言葉などが語られています。ただし、対人間だけではなく、本との対話、本の中での対話であっても、対話であると言っています。心に残る人間との対話の経験がないという方もいらっしゃるそうです。
第2章 対話に飢えた人々
暉峻さんがスタートメンバーのひとりである「対話的研究会」のはじまりとその理由、対話のもたらした心や人の変化などが語られています。この研究会に出て、人には人生があり、語ることができる想いや考え、信念をもっていることを体感したと書かれています。人は語ることをたくさん持っているのです。ただ、今まで語る機会が少なかっただけだったのです。
第3章 対話の思想
対話が必要であることの思想的、実証的な理論が語られています。対話は、そもそも人間が自分の存在を確認できる本質的なものであり、人間が求めているものである。そして、平和のためにも対話が続いていることが必要だという帰結に至っています。
第4章 対話を喪ったとき
対話が排除されつつある今、対話がないとどのような不都合が起こっているのか、なぜ日本では対話が根付かないのかについて、事例を挙げながら考察されています。
第5章 対話する社会へ
対話が行われた(試みられた)事例、 その影響、対話を積み重ねた先にあるものなどについて、語られています。労働組合が非正規雇用の労働者を全員正社員にした事例やドイツのプラーヌンクスツェレ、学校教育の現場、道路の拡幅の際の住民と行政の協働の事例などが語られています。最後の一文には「対話する社会への努力が、民主主義の空洞化を防ぎ平和をつくり出しているのです。」と締めくくられています。
このブログでも『声の文化』についてhttp://social-acty.com/blog/2231/ や「社会構成主義と対話」http://social-acty.com/blog/1404/ など、対話をタイトルにする書籍のご紹介とともに、ソーシャル・アクティのワークショップの基本的なスタンスとして「対話」を大切にしていることもご紹介してきました。暉峻さんと同じ想いであったことがとてもうれしいです。
「対話」は人間が求めているものとは?
この著書の中で、『オープンダイアローグとは何か』『オープンダイアローグ』が紹介されていました。これラの書籍は、フィンランドで統合失調症を対話によって治す方法と事例が書かれています。このように、「対話によって、薬なしで治癒できるとすれば、対話がいかに本源的な人間の本性に根差す行為であるかを思わせる報告」と評価しています。
(https://www.amazon.co.jp/オープンダイアローグ-ヤーコ・セイックラ/dp/4535984212/ref=sr_1_2?ie=UTF8&qid=1494384058&sr=8-2&keywords=オープンダイアローグ)
(https://www.amazon.co.jp/オープンダイアローグとは何か-斎藤環/dp/4260024035/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1494384058&sr=8-1&keywords=オープンダイアローグ)
また、「自分を知るためには他者の存在が必要であることを自覚させてくれるのも、対話の持つ特典かもしれません。」とあります。対話をすることで、自分を確立する、自分の存在意義を考え、気づくことができていくのです。そして、「気づく」前の段階である「考える」ということも対話に伴っている行為です。「考える」ということがなくなっていくとハンナ・アーレントのいう「悪の凡庸(自分の行為がもたらす影響などを考えることを止め、与えられたミッションを粛々と執行していくというような意味)」に陥っていきます。それがたった一人ではなく大半の人がそこに陥ってしまうと…。
「暴力的解決に対する人間的な対処法であり、人間が獲得してきた特権の一つが対話でないかとさえ思われるのです。」とあります。話せばわかる、というよりも、対話をして「ああ。こういう考え方をする人もいるのだなぁ」と多様性を認めるということになります。また、対話によってお互いの信頼感が生まれてきます。違和感や文化の違いからくる気持ちのすれ違いの解決策として、対話が必要だといわれている理由の一つなのでしょう。
「戦争・暴力の反対語は、平和ではなく対話です」これは、暴力的解決としての戦争は対話で防げるだろうとおっしゃっているのだと理解しています。ファシリテーターとして尊敬しているアダム・カヘン氏の著書『手ごわい問題は対話で解決する』にも書かれています。
(https://www.amazon.co.jp/手ごわい問題は、対話で解決する-アダム・カヘン/dp/4990329848/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1494384250&sr=8-1&keywords=手ごわい問題は対話で解決する)
そして、対話によって安心感を得ていること、異なる考えであっても同じ人間という土台を共有していること、なかなか話が通じなくても共存できるという肯定感をもてること、信頼感があること、討論をプラスに生かそうとする意志につながることを強調しています。
対話のある社会では、人々は分断されずに、お互いの存在を肯定することができ、人間として共通する土台を理解することで、ひとつになっていくことが出来そうです。
今まで、私なりに勉強してきたこと、実践し感じたことを暉峻さんがおっしゃってくださった。と勝手にうれしくなってしまいました。
対話のワークショップをすると、本当に参加者の皆さんが「くっついて」いくのを感じます。昨年度、関わらせていただいた美濃加茂市のまちひとしごと「カミーノ(女性が活躍する美濃加茂市を目指した地方創生の愛称です)」で、女性だけで考えた7つの事業があります。全部で10回近くワークショップやお試しイベントなどをしました。ほとんどの会を対話を中心にしたワークショップとしました。最後の会で、どのプロジェクトに参加したいかについてお聞きしたところ、ほとんどの方が「どのプロジェクトでもOK」とのお返事をくださいました。たいへんうれしいコメントでした。これは、「くっつく」一つの姿であると思えるからです。
美濃加茂市内でバラバラに生活していた方々が、ワークショップを通して知り合い、語り合ったことで、お互いの信頼が生まれ、事業へのコミットも高くなったのではないかと考えています。「くっついた」のではないかと。
さらに、参加者のみなさんも、対話を求めていたのではないかと感じるのです。ワークショップ中でも、対話の時間はたいへん短く感じるほどに語り合いました。メンバーチェンジをしても、すぐに内容に深く入っていけるのは、みなさんの中に信頼感を伴う対話を求めていたからなのかもしれません。
対話に必要なのは
まずは、聴くこと。と書かれています。そして、双方向のコミュニケーション。聴くだけ、話すだけの一方通行では対話にはなりませんよね。お互いの言葉のやりとりの中で違いに気づいたり、その背景に思いを巡らせたり、考え、探求していったりできることが対話と名付けられているのです。
そして、対等の立場にたつ誠実な聴き手が必要とも言っています。誠実な聴き手がいることで、話し手も誠実になり、話し手の考えが引き出されていくと。
「対話とは、ただ言葉で話し合うだけでなく、対話しようとする意思、行為のすべてなのだと悟りました。」この言葉を胸に、私のフィールドとして与えられたワークショップの中で実現していけるのか!について考え、試みていくことがミッションなのかもしれないと悟りました。
2017-04-23 | ブログ
4月22日のTV番組「報道特集」で「自然栽培」が取り上げられました。
(http://www.tbs.co.jp/houtoku/onair/20170422_2_1.html#)
自然栽培は、農薬だけでなく肥料も使わないで作物を栽培する方法です。
作物の根っこが土の中で微生物によって分解され、無機窒素が放出されます。翌年の作物はこの天然の無機窒素を肥料として育つらしいのです。
田植えでは(普通は5~6本ずつ植えるらしいのですが)この方法では1本。少ない(適度な?)天然の肥料を求めて、根が張るので収穫の際、根っこを比べるとそのボリュームの違いは驚くほどでした。
この番組は、自然栽培パーティ(http://shizensaibai-party.com/party)を始めた佐伯さんを中心に特集されていました。
少しだけ、関りが。
昨年度、豊田市の社会福祉法人「無門福祉会」さんが農福連携(農業と福祉)のために、ネットワークをつくる試みの会議にファシリテーターとしてお声かけいただき、関心を持ちました。
ほんの少しだけの関りですが、今後の展開に期待していました。
(一度、お邪魔しようかなと思い出していたときに、この特集でしたので、うれしさ倍増です。)
昨年の5月には豊田市内でイベントがあり、農作物の販売もありました。お米とバナナ、リンゴのチップスを購入し、そのおいしさを満喫しました。
もう一品、奇跡のリンゴの木村さんにご指導いただいて栽培したという「希望のいちご」これも自然栽培。いちごの味が小さい頃にいただいたいちごの味で、実もしっかりしていて、これも忘れられません。(会議の際に、希望のいちごの栽培に成功された野尻さんがお持ちくださいました。役得♪)
イベントで購入した自然栽培バナナは、1週間ほど熟成させていただくのですが、濃い甘さとしっかりしたバナナの味が忘れられません。
福祉の分野では、番組内では、佐伯さんが農福連携を始められた理由が、障がいをもつお子様の将来を想って始められてのだとか。
福祉の作業所でのお給料は1か月5,000円~6,000円程度だった(これでも多い方?)のが、自然栽培を始めて17,000円~8,000円になったそうです。
そして、農業の仕事を始めてから、統合失調症の方は笑顔が多くなったとの自覚があったり、自閉症の方は家で農作業の話題を話すようになったと、番組で紹介されていました。
私が関わっていたときでも、利用者さんの気持ちが落ち着いて、農作業を楽しむようになったとか、いちごが心配で病気が出たときは、毎日ハウスに行っていたというお話を聴きました。
施設の方々もとても優しい方々で、イベントの際は、みなさん親しくお声かけ下さり、とてもうれしかったです。
土を触っているということは、心が落ち着くのですね。(認知症にも土いじりが効くと聞いたことがあります)
私も、花の世話をしたり、生け垣の手入れをしているときには、気持ちよく集中でき、時間が経つのを忘れてしまうほどです。
農福連携の今後は?
農福連携のネットワークの行方にはたいへん興味をもっていたのですが、なかなか積極的にお邪魔する機会がなく…
今回の特集は、とてもうれしく、懐かしい、そしておいしさを思い出す番組でした。
勇気を出して、無門の方にご連絡をしたところ、近況を教えてくださいました。企業や社会福祉法人とのコラボが進んでいるとか!
大きな広がりが期待できそうです。
時代は、農業!になりつつあるのかも。
2017-04-10 | ブログ
先日、ボードゲーム「ディプロマシー」を体験しました。
この「ディプロマシー」はなんと、1954年に完成したボードゲームでだそうです。
(https://ja.wikipedia.org/wiki/ディプロマシー)
現在も販売されています。長く愛されているボードゲームなのですね。
1ゲームが終了するのに4~5時間必要で、サイコロなどの偶然の要素は全くなく、交渉だけで進めるゲームだと言われました。
舞台は第1次世界大戦前のヨーロッパ。ゲームはヨーロッパの7か国の外交官が交渉で陣取りをしていくというもの。
そして、学生時代に経験した方からは、喧嘩のようになってしまったとか…
なんとも恐ろしいゲームらしいのです。
そんなゲーム、とにかく一度やってみたい!という衝動にかられ、大人が揃い、やってみました。
ディプロマシーとは(もう少し詳細を)
第1次世界戦は1914年から始まりました。
ディプロマシーはその13年前の1901年から始まります。
プレーヤーは7人(+― 数人はOK)それぞれロシア、トルコ、オーストリア、イタリア、ドイツ、フランス、イギリスの7か国の外交官になります。
各国は、自国の補給都市の数だけ陸軍or海軍を持っています。だんたい4~5。7か国合計34都市。
このうちの18都市を押さえて自分の国の軍隊を増やした国が優勝です。
ゲームの1タームは、1年で春と秋の2回コマを動かします。動かすまでには交渉があったり、独自の動きがあったり(もちろん、裏切りも…)します。それぞれが軍隊を動かす「指令書」書いて一斉にオープン!その後1つずつ丁寧にそれぞれの関係をひも解いていきます。
すべての軍隊の動きを整理して、やっと、どの国のどの軍隊の動きが有効なのかがわかります。
春の陣は動かすだけ。秋の陣で補給都市が増えるか、減るか、維持できるか?が決まっていきます。
5年分(春+秋が1年)繰り返す、または、誰かが18か所補給都市を押さえると終了します。
やってみると…
まずはチェックインと情報共有
初めて会うメンバーもいるので、自己紹介をしつつ…
第1次世界大戦のことをみんなで検索して情報共有したり、1901年には日本は明治時代で、こんなことがあったねと話したり、ディプロマシーでの国土と今の国土の違いは?と話したり…
なぜか、いきなりゲームには入らずに情報を共有して数時間が経ってしまいました。
ルールは
1回のタームで1つの軍隊が動けるのは1コマ。以下の4つの動きを組み合わせます。
Hold(その場に留まっていること)
Move(移動)
Support(支援)
Convoy(輸送)
どこの拠点にあるどの軍隊をどこへ?を指令書に全員が一斉に記入します。一斉に突き合わせて、動けるコマ、動けないコマ、撤退などの結果を共有していきます。
コマの動かし方、指令書の書き方などをお試しで体験しながら、やっとゲーム本番へ!
(ここまででなんと!半日かかってしまいました)
いざ本番!
春と秋を1タームやった頃には、もう19:00…
翌日に持ち越して夕食となりました。
翌日は、朝8:00スタート。
そして、お昼を挟んで15:00過ぎに「もう、終わりましょう…。疲れた…。」となり、
またまた、ふりかえりを2時間近くして解散となりました。
感想は
①今まで遠いと思っていた、そして地理の感覚があいまいだったヨーロッパでしたが、このゲームで一気に身近になりました。
その後、ニュースでヨーロッパや東アジアの国のできごとがあると、地理感覚がわかったり、地図で調べたりするようになりました。そして、その国の特性も少し理解できるようになりました。話題となる国は、どうしたいのか?何がキーワードになっているのか?などが、なんとなくではありますが、見えてくることが多くなりました。
「愛の反対は無関心」「平和の反対は無関心」と言われています。今までの無関心さが恥ずかしくなりました。
②これ、受験にもぴったり!というふりかえりがありました。
入り組んでいるヨーロッパの情勢や国名が理解できますので、試験に出てもすらすらと答えられそうです。
③戦国時代のドラマ(NHKの大河ドラマのような)で武将が、地図を広げて両手を組み「ん~」とうなっている気持ちがよくわかりました。
また、地図を違った方向からみると、景色が違ってみえることもわかり、その場に立って考えると相手の考え方が見えてきそうです。
④外交の大切さがわかりました。
ゲームでは、補給都市を増やすと他の国の軍隊のコマが一つ減るというだけですが、実際の軍隊では…と想像すると恐ろしいと思うのと同時に「外交」というものが自国の平和にむけてのみ動くことが正義なのだろうか?もっと全員が幸せになる方法はなかったのか?と思うようになりました。
もう一度開催するとしたら…
今回、初めてでしたが、これがあってよかったねということがいくつかあります。
(ファシリテーターの視点からも役立ちました)
①舞台となるヨーロッパの地図をA3に拡大コピーしたもの(たくさん)。どこの軍隊がどことぶつかる…などの動きを記載してコマの結果を導くため。
②各国が色分けして記入できるように、プロッキー各色×3セットほど
③A4コピー用紙(たくさん)指令を書いたり、メモしたり…とにかくあれば活用できます。
④ホワイトボード2~3枚。ルールを書いたり、共有する事項を書いておいたり、説明したり、こちらもとにかく役立ちます。
⑤お茶とお菓子。特にチョコレートなど甘いものは必須でした。頭脳戦ですもんね。
②③④⑤はファシリテーター必須の小道具です。使う場面はあるのか?と思いながら持参したところ、大活躍でした。
ファシリテーション、グッズは持っておくべし!と実感しました。
こんなことしたら、もっと臨場感があるね!と話し合いました。
①メインのテーブルには大きな地図をおき、そこは、指令書をオープンにする場とする。
サイドテーブルを国の数だけ準備して、そこにお茶やお菓子をおく。交渉がしやすいようにセッティング。お茶を飲むときに交渉できるように。
②各国の外交官は、地図のコピーを持ち各タームで書き込みできるように準備する。一か国だけで作戦を練ったり、交渉したりしやすい環境を準備する。
③各外交官のメールアドレスやLINEなどを交換しておくと、こっそりと交渉できそう。
④そして、もっと大人のゲームにするために。各都市の地理的な特徴や全体の地形、産物などの情報があると、大切な拠点がもっと見えてくるのでは?
などなど、さらに楽しめるゲームに進化させられそうです。
より楽しいものにしようとするのも、ファシリテーションのマインドのうちです。準備からアイスブレイク、ふりかえりなど、ファシリテーションのスキルやグッズもより楽しめる要素となりました。
やってみると、とても奥深いゲームで、60年以上愛されている理由がわかりました。
今まで疎かった「戦略」というものを身近に感じその大切さを知りました。また、機会(チャンス、機を見ること)の大切さも思い知ったのでした。
今回の結果は…
次回にリベンジします!
2017-03-20 | ブログ
先日、所属しているNPO、日本ファシリテーション協会の中部支部の定例会に参加してきました。
(https://www.faj.or.jp)
「ゲーミフィケーションとORID体験」というタイトルでした。
ゲーミフィケーションは、リアル脱出ゲームのようで、チームで難問を解いて、ファシリテーターを探すというものでした。
その途中で一度、最後にもう一度、ORIDというふりかえりの体験をしました。
ORIDとは?
O:Objective Question (客観的問いかけ)で合理的、事実に基づく質問
R:Refractive Question(内省的問いかけ 肯定的+否定的)で、自分の感情に基づく質問
I:Interpretive Question(解釈的問いかけ)で、経験の意味や価値、創造的に考える質問
D:Decisional Question(決断的問いかけ)で、判断や判定、次のステップへの質問
です。
そして、経験を学びに変えるふりかえり、と言われています。
コルブの「学習モデル」というのあり、
それは、
経験⇒リフレクション⇒概念化⇒実験⇒経験…
経験:具体的な経験
リフレクション:経験をふりかえる
概念化:リフレクションから教訓を考える、自分なりの理論をつくる
実験:概念化した理論を新たな状況に適用する
(http://www.spod.ehime-u.ac.jp/wp/wp-content/uploads/2015/09/2802A.pdf より)
というサイクルを描くモデルだそうです。
このサイクルの中の ‟リフレクション⇒概念化⇒” あたりで行うふりかえりのような気がしました。
(このブログを書いているのも「ふりかえり」であって、経験を学びにしています。でも、このふりかえりは残念ながら定型化されたORIDの進め方ではないのです。せっかくなので、ORIDで進めてみればよかったと反省。)
定例会では
ゲームでチームに分かれてのなぞ解きをしていく途中で、一旦手を止めてORIDによるふりかえりを行いました。
このときには、20分というふりかえりの時間が惜しくて、早く次のなぞ解きをしたい!という気持ちがあったのですが、
今日は、ふりかえりの体験と思い直し、一旦、冷静になってふりかえってみました。すると、ゲーム途中で気になっていたことを文字にして顕在化でき、解決策も共有できました。
実際の経験に従って(順を追って)ご紹介します。
【Step1】
まずは、みんなでスタート!目の前にある問題を解いていきます。
ところが、目の前のゲームに夢中になっているメンバーと、何をしたらいいのか?わからないのでウロウロしているように見えるメンバー、他のメンバーは何をしているのかが見渡せないメンバーがいました。
その様子が気になりつつも(なぜか)焦り、次々に問題を解くことに傾注していました。
そこで、簡単にORID的ふりかえり。
すると、他のメンバーも同じことを気にしていたことが分かりました。
解決策(D)も、メンバーの全員が同様に「情報の整理と共有」「役割分担をはっきりとする」とシートに記載していたのです。
【Step2】
その後のゲームの進め方は、
まずは情報の整理。何が解けていて、何がまだなのか、どこまで進んでいるのか?今の課題は何か?をはっきりさせ、共有しました。
次に、役割分担をして、次のステップに行くときは、声をかけて、状況を共有しながら進めることができました。
あと1問を残してタイムアップとなってしまったのは心残りですが、終わったときには、全員が達成感をもったようです。
【Step3】
最後にもう一度、ていねいにORIDでふりかえり。
このときはORIDの各ステップで10問ずつあり、その問いかけに一人でシートに記入⇒チームで共有をしました。
学んだことは1.
共有するうちに、はっと気が付きました。
①「チームごとにゲームをする」ということで「他のチームに負けたくない!」と思い、逆にみんながバラバラになって突っ走ってしまったこと。
②「そもそもチーム対抗戦だったの?」という問いかけがありました。もしかしたら、他のチームに助けてもらったり、助けたりして定例会のメンバー全員でゲームを進めてもよかったのでは?という根本のところに行きつきました。
そういえば、そのあたりは何も言われていなかった…
これらは、否定的なリフレクションと次へのステップを合わせて考えたときに、気が付いたものです。
否定的なことはなかなかオープンに言いたくありませんが、あえて言ってみることも大切なのだと思いました。
学んだことは2.
上の他に、今回の経験を通して分かったことは、
・ORIDはチームができていてプロジェクトを進めている途中で行うと、とても効果的。その後のチームの動き方や満足感がまったく違ってくるということ。
・次回のプロジェクトの進め方は、ここに気を付けよう!と忘れずにできること。(経験を通した学びは忘れにくい)ただし、心理的なアプローチでのプロセスのようです。
・ふりかえりのフレームワークには、KPT(Keep Problem Try)というのもよく使われます。KPTは、プロジェクトそのものを引き継いでいくときに有効なふりかえりであると思われます。行動として、プロジェクトのコンテンツとして他のチーム、他の人に引き継ぐときは、KPTでふりかえりをするのが有効であるようです。
*KPTは以下の順にふりかえっていきます。
K:Keep 良かったこと・引き続き行いたいこと
P:problem 課題となったこと・改良したいこと
T:Try 次回への提案、次回取組んだらもっと良くなると思うこと
まとめ
ORIDはチームがプロジェクトを進め、達成するにあたって、心理的なプロセス(感情など)をふりかえり、一人一人がより気持ちよく力を発揮し、チームの力を引き出せるように「経験を学びに変えていく」もの。
KPTは、他のチーム、メンバーが同じようなプロジェクトを進め、達成するにあたって、コンテンツ(中味)をより良いものにしていくため、「経験を引きついでいく」もの。
だと思いました。