2017-01-13 | ブログ
以前から気になっていた「マーケティング」。よく耳にするのですが、一度、読んでみたいと思っていました。
入門編を読みました。わかりやすい理論の解説と事例があり、大まかな考え方が良く分かりました。
『マーケティングのすゝめ ~21世紀のマーケティングとインベーション』フィリップ・コトラー、高岡浩三著、中公新書ラクレ、2016年。
(https://www.amazon.co.jp/)
ここから、マーケティングとファシリテーションの関係を考えてみました。
マーケティングとは?
ざっとまとめると…
・自分(自社)が提供できる価値(事業)は何か
・自分(自社)にとっての顧客は誰なのか
・自分(自社)の顧客が好み、あるいは欲しているモノやサービスは何なのか
をつかんで、競合相手(他社)に勝つには、どうしたらいいかを自問し続けること。
そして、顧客にとって、価値のあるモノやサービスを通して、顧客の問題解決のお手伝いをすること。
さらには、より多くの人のために、より良い世界の構築を目指すもの。
というようなことでした。
最終の目的は、企業が儲かるために、どのようなモノやサービスを売れば良いのか?ではなく、
より良い社会、世界を作っていくことだったのです。
大きなところに目的があったのですね。
マーケティングの4段階
マーケティングは現在、4.0の段階に入っているのだそうです。発達の段階を整理してみると…
マーケティング1.0=製品中心(Mind)、製品の販売を目的とする、製品管理
1950年代~(高度成長期) 製品に対する需要を生み出すことがマーケティングの役割。
マーケティング2.0=消費者志向(Heart)、消費者を満足させることに知恵を絞る、顧客管理
1970年代~(オイルショック以降) 効果的に需要を創出するには、マーケティング活動は「製品中心」から「消費者中心」に。
1980,1990年代~(パソコンの普及、インタネットの発達) 人間の感情に焦点を当て、消費者のハートをつかむ。
マーケティング3.0=価値主導(Spirit)、より良い社会を実現するという崇高な目標を掲げて消費者の価値観に訴える、ブランド管理
21世紀~ 社会的価値や顧客にとっての価値を顧客とともに共創し、クラウドソーシングを活用しながら価値を生みだす。
消費者は、グローバル化した世界をより良い場所にしたいという思いから、自分たちの不安に対するソリューションを求めるようになった。
マーケティング4.0=(これからのマーケティング)自己実現、個々の自己実現欲求を満たす製品やサービスへのニーズが台頭してきた。企業はそこにフォーカスして、カスタマイズした製品やサービスを提供する。マーケティングは、この動きを後押し。
「顧客」は?
ここで、マーケティングに大切な「顧客」とは誰か?という問いが出てきます。
21世紀の顧客は、従来のいわゆるお客さまではなく…
・対外的な顧客=すべてのステークホルダー
・社内的な顧客=その業務にとっての価値提供先
ということで、すべてのヒトが顧客になるのが、マーケティング4.0の考え方です。(チャンスは無限に広がっている!)
そして、大切なのは、無限の顧客が抱えている問題を見つけることだそうです。
顧客の問題にも2種類あり、
・顧客が認識している問題
・顧客が認識していない問題(現時点では問題として認識していないが、第三者から指摘されると「それが解決されればたいへんうれしい」と気づくような)
後者の問題を探すことが非常に大切で、それは残念ながら「必死に考えるしかない」と。
イノベーションとリノベーション
もう一つ、大切な事柄は、イノベーション。
イノベーションとリノベーションの違いを認識して、イノベーションを起こしていかなくてはマーケティング4.0にはなりません。
イノベーションは、「顧客が認識していない問題」の解決から生まれる成果であるため、顧客が認識していない問題を「発見」することが何よりも重要になります。
リノベーションは、消費者調査で把握できる、顧客が認識している問題の解決から生まれる成果。イノベーションがおこったあとに発生する顧客の不満や問題を解決するプロセスから生まれた成果。
分かりにくいのですが、家電で言えば…
現実に起こっている事象を記録する手段がなかった⇒【写真:イノベーション】⇒【シネマトグラフ(動画)映画:イノベーション】⇒【テレビ:(家庭で見ることができる)イノベーション】
テレビの発展 白黒→カラー(リノベーション)→液晶画面(リノベーション)→ハイビジョン化(リノベーション)
顧客が認識していなかったけれど、市場に出てくると「たいへんうれしい」解決策を出すことがイノベーションとなります。その後、マイナーチェンジしていくのはリノベーションです。写真がなかったときには記録を残しておくためには、文字や絵で残していました。風景画というのでしょうか?イベントなどを屏風絵にした日本画であったり、肖像画や浮世絵などもそのためにあったのではないかと思われます。大変な時間と手間をかけて記録を残していました。
写真が発明されたことで、「顧客」は思ってもいなかった時間と手間、(もしかしたら金銭的にも)かなり省くことができてうれしいと思ったのだろうと想像できます。そんなことができるなんて思ってもいなかったことができるようになった、これがイノベーション。
後は、その写真をどのように活用するのか?そのために使いやすいものにするとか、品質を上げていくということになってきますので、これがリノベーションの段階です。
ここまで、見てくると「イノベーション」を生み出すことの重要性が分かってきます。その後のリノベーションを生み出していくベースになるのです。
イノベーションを生み出すために
では、その重要なイノベーションをどのように生み出すか?アイディアはどのように生み出すのか?が気になってきます。
本書では、常に考えていること、考え続けることが求められると言っています。
一人で考え続けることは、とても大切ですし、考える基本です。
ファシリテーターの視点からすると、一人で考え続けている人たちが集まって対話をすれば、共創ができると言えます。
フィンランドの教育では、共創する社会を目指しています。知識資本主義の時代に対応するために、人間同士の信頼関係の上の対話によってイノベーションを起こしていこうという国家的な戦略なのです。これは、PISA調査の目的でもあります。(『フィンランドの国家イノベーションシステム』レイヨ・ミエッティネン、新評論、2010年)
共創の場をデザインし、進行していくのがファシリテーターなのではないかと考えています。
(https://www.amazon.co.jp/)
そういえば、フューチャーセンターも北欧の国スウェーデンで生まれ、イノベーションを起こすという目的を持って運営されています。(『フューチャーセンターをつくろう』野村恭彦、プレジデント社、2012年)
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そして、フューチャーセンターには、ファシリテーターが欠かせません。
このフューチャーセンターは、企業だけでなく、というよりも役所が運営しているほうが多いのです。人々がより良い生活をしていくため、知識資本に基礎をおく社会に生き残っていくためには、イノベーションを起こすことが政策としても求められるということではないかと考えられます。
フューチャーセンターもさまざまなステークホルダーが集まって対話することでイノベーションにつながっていくという基本的な方針があります。
共創によるイノベーションを起こすためには、ファシリテーションは必須なのですね。
従来の解決方法では解決できない課題や、従来なかった課題などが山積している「公」としては、その課題の根本は何なのか?を探り、解決していく政策を行っていかなくてはなりません。そのニーズから、フューチャーセンターが必要とされている、されはじめているといえるのではないでしょうか?
フューチャーセンターのような人と人をつなげたり、より良い上質な対話の場を設けることが求められており、そのような場で市民の方々と様々な視点からの対話をしていくことが企業や行政、その他の社会課題を解決しようとしているステークホルダーにとってより良い未来を共創していくために必要なことのようです。
このような場をデザインし、創っていくことが、これからのファシリテーターにとっても重要な使命となってくるのでしょう。
そのような場になるように精進していこうと思いを新たにしました。
2016-12-24 | お知らせ
愛知県東浦町で、住民懇談会を6地区で行われ、ファシリテーターを務めました。
テーマは「地域福祉」ではありましたが、自治の機運を醸成するという目的もありました。
住民のみなさんのご意見をいただきつつ、自治の概念と照らし合わせてみると、すでに地域の中で「自分たちで課題を抽出し解決策を考え、行動する」という自治の基本はできあがっているように感じました。
あとは、この営みを町内で共有し、行政と協働してより活動を充実させていく、ということが課題のようにみえました。
前向きな町民のみなさんと町長さんのやり取りや、行政の方々のサポート体制が創られていく過程が興味深い懇談会でした。
ご覧いただけますと幸いです。
http://www.town.aichi-higashiura.lg.jp/gyosei/kocho/kondankai/1479085578030.html
2016-12-24 | お知らせ
8月に行いました、愛知県東浦町の「NEXT東浦」のまとめが東浦町のホームページに掲載されています。
お時間あるときに、ぜひ、ご覧ください。
http://www.town.aichi-higashiura.lg.jp/soshiki/kikakuseisaku/kikakuseisaku/gyomu/jiti/next_higashiura/1474440152885.html
昨年、東浦町の中高生に集まってもらい、「自治」について考える集いを開催しました。
自治を始めるには、まずは、「自分のまちを知ること、地域アイデンティティを醸成していくこと」から始めようというところから。
今年は、自分たちで企画してまちあるきをし、スマホアプリで発信する!ということをしてみました。
参加した中高生は、自分の住んでいる周辺は知っているけれど、同じ自治体内に住んでいても、学区が異なれば情報が極端に少ないのですね。
ということで、他の学区に住んでいる中高生と情報交換して、実際に訪れてみました。
その様子をスマホアプリで発信、町のホームページに掲載。
まちあるきや、他校の生徒との交流も楽しそうに取り組んでくれました。
この経験をいつの日か思い出して、東浦町へ帰ってきてくれるといいなと期待しつつ…
自分たちで決めたことを実際にやってみる、自治の精神につながっていくといいな。
2016-12-24 | ブログ
平成27年度、地方創生総合戦略で、美濃加茂市では女性の活躍に絞ってプランを作成しました。
Caminho(カミーノ:ポルトガル語で「道」)と名付けられています。
( ステキな冊子調になっています。 http://www.city.minokamo.gifu.jp/temp/hp/108/20160222171002/Caminho1.pdf)
このCaminhoには、5つの道があります。
①自分らしく生きられる
②家族をつくれる
③お母さんになれる
④子どもの笑顔を守れる
⑤ふるさとを好きになれる
です。このプランの平成29年度の事業実施にむけて、平成28年度は、それぞれのプランを具体化させるために、5回のワークショップを行いました。
そして、ワークショップから出てきた7つの事業。
その発表会を行いました。
(チラシです→ http://www.city.minokamo.gifu.jp/temp/hp/122/20161206162033/Caminhoプロジェクト発表会チラシ.pdf)
発表会で発表した7つのプランは…
①Caminho Study Room 女性が学び、余暇を過ごすだけではなく、趣味の講座を開き、インターネットで販売したりして実績を積み重ねて、起業。というコースまであります。
②カミーノ カフェ カフェ的な空間で女性が一人でも、子どもを連れても気軽に過ごせる場をつくります。そして、その場が広がっていくと、いろいろな出会いがあり、つながりができ、家族もできてしまうという、ご縁がつながっていく場です。
③移動式カミーノフェス このワークショップでは一度、お試しのプロジェクトとしてカミーノフェスを行いました。アクセサリーづくりの講座や収納術の講座、カフェ、英語で遊ぼう、パパの育児教室などなど、3回のワークショップで出たアイディアを形にしたイベントでした。これが好評でしたので、もう少し続けてやってみよう!となりました。
④Minokamo Family Project パパも子育てに参加(ではなく)、主体的にかかわれるようにパパとママの講座や、パパのつながりをつくってイクメンのまちにしよう!というものです。
⑤働きたいをかなえよう!きらきら かもジョ プロジェクト 出産、子育てで一旦、退職したママが、もう一度働くためのサポートです。子育て支援センターにハローワークがあったり、気軽にキャリアデザインを相談できたり、就活の託児があったりと働きたいけれど不安があるママを応援します。
⑥病後児保育 子育てしながら働くママには、とても切実な課題です。これをなんとか活用しやすいものにしようというものです。
⑦Chance for Children 英語で託児から発展して、もっとグローバルな感覚を子どもたちに身に着けてほしいという願いからできました。カミーノフェスなどのイベントに託児を準備して、希望する子どもに英語で遊ぶプログラムを提供するというものです。
ゲストの4方からは、とても前向きで、提案にプラスする要素も入れたコメントをいただきました。
5回をふりかえってみると
4回目のワークショップでカミーノフェスを実行しました。
第3回までのワークショップで、どんなことを美濃加茂市で実現したいのか、どのように暮らしていたいのかを考え、お試しプロジェクトとしてトライしました。
第3回と第4回の間には1か月もありませんでした。
そんな時間がない中なのに、メンバーのみなさんは、分担して講師の手配や準備などをしてくださり、やり遂げてしまいました。
参加していらっしゃったみなさんのお力を目の当たりにして、感心するとともに、提案するアイディアは実行される!と確信したのです。
第5回では、カミーノフェスのふりかえりと提案に向けて、絞り込みやまとめを行いました。
そして、迎えた発表会だったのです。
ゲストをはじめ、市長も参加してくださって、とてもあったかい雰囲気の中、ステキな提案ができました。
もちろん、発表するだけでは終われません!
提案の実現にむけて、今後関係するであろう各部署の方もお招きして、発表についての対話を行いました。
直接、提案者と関係する部署、そしてトップの方々とともに掘り下げていくのは、とても貴重で充実した時間でした。
ご参加くださった方々からも、好評をいただくことができ、安心するとともにさらに実現への期待が高まりました。
子育て中のママやこれから結婚・出産していくお若い女性のみなさんが集まって、毎回、楽しそうに対話しながら創り上げてきた提案内容。
その創造の場に居られたことは、充実感とともに、とても誇りに思っています。
ファシリテーターとして
ファシリテーターとしては、参加したみなさんのお力によるところが大きかったものの、心がけたことがあります。
参加した方々がどのように暮らしたいかを楽しく、まじめに語り、つながって、実行していけるようになるためには、どうしたらいいのか?ということでした。
ワークショップでは、ワールドカフェを応用して、メンバーチェンジを必ず行いました。
テーブルにある課題やアイディアに新しいメンバーがアイディアを書き加えていく。そして、戻ってきたときに、そこにあるアイディアをさらにブラッシュアップしていきました。
最初と最後は、必ず全員でチェックインとチェックアウトも行いました。
みなさん、メンバーチェンジを繰り返したためか、どのプロジェクトの内容も把握していらっしゃって、カミーノフェスでも、発表会でも、「どれを担当してもいいよ」という状態でした。
ワークショップに参加してくださるみなさんの一体感を感じていました。
対話すること。ワールドカフェのメンバーチェンジをしながら進めること。これらの効果を実感しました。
これからも
発表して終わり!ではありません。
事業化にむけては、ここからが本番です。
カミーノのメンバーとともに事業化に向けて、進んで参りたいと思っています。
どうぞ、今後を応援してください。
2016-12-10 | ブログ
この頃、お仕事のご縁をいただいている美濃加茂市さん。
まちあるきはしておかないと!ということで、お天気の良い日に歩いてみました。
トリビアなお話がたくさん聞けました。
その1
美濃加茂市は中山道の太田宿があったところです。
お城はありません。
幕府の直轄地だったそうです。それでお城がないのですね。
その2
美濃太田駅の北側に公園があります。
ここには世界地図が描かれていました。(火野正平さんが「心旅」で2度も訪れたそうです)
その3
太田宿は皇女和宮が江戸へ下る際にお泊りになったとか。
中山道は姫街道と呼ばれているそうです。
姫街道は本街道(東海道)に比べて、難所、厳しい関所があって面倒な時に別ルートとしてあったそうです。
本街道に比べて人通りが少なく、犯罪に巻き込まれる可能性が少ないため、女性が選んで通ったということでもあるようです。
治安が良かったのですね!
今は御祭夏の陣、秋の陣と2回のお祭りがありますが、秋の陣ではお姫様の行列があるそうです。
http://minokamo-kanko.jp/html/onsai_aki.html
この姫行列には6人のお姫様が輿に乗られるそうですが、もちろん、和宮さまもいらっしゃるようです。
言い出せばきりがないほど、いろいろなことを教えていただきました。
そして、豊かな流れの木曽川。
交通の要所で、人も船も行き来した商業で栄えた街だったようです。
中山道会館では、とってもお値打ちなお昼をいただきました。
地元のはちや豚の生姜焼き定食。地元の野菜も地元産でとてもリーズナブルで、美味しゅうございました。
(なんと750円!)
地元の女性が料理してくださっています。
今度は、違うメニューをいただかなくては!
「寿々女」という名のとんかつ屋さんにもはちや豚のとんかつがあります。こちらも挑戦したいのです。(なんでも、お塩でいただくのだとか)
観光には食も欠かせませんもの。
この会館の敷地内にりっぱなシンボルツリー「宿木」がありました。
見ごろはもう少し後とのことでしたが、こんなに茂っているのは珍しいのでは?と思いました。
日本ライン下りというのが数年前までありました。美濃加茂から犬山まで木曽川を船でくだります。
一大観光だったようで、昭和の頃、名古屋からの観光客もたくさん来て、楽しんでいたようです。
この「日本ライン」と名づけたのが明治時代の地理学者「志賀重昂」でした。この地を訪れたとき、ドイツのライン川の景色に似ているということで命名したそうです。
実は、志賀重昂氏は岡崎市に生まれた方だったのです。私は岡崎で生まれ育ちましたので、このお話はよく聞いていました。
親しみを感じつつ、木曽川を眺めたのでした。
もう少し、じっくりと歩いてみようと思いました。
ライン下りの様子です。http://nk.xtone.jp/archives/japan-line-down.htmlより