ソーシャル・アクティ まちづくり&組織の活性化・ファシリテーション

社会が、一人ひとりが、生き生きと生活できる社会の実現をめざしています。

輪島に行ってきました。その1

2024-04-11 | ブログ

4月7日(日)に輪島へ行ってきました。今回は「その1」のご報告です。

もともと現地に不案内、そして、道路にどのような地震の被害があるのか?よく分からないので、タクシーをお願いしました。
のと里山海道という高速道路が輪島まで通っているそうです。行は金沢から輪島までこの道路を通れるようになっています。帰りはその道路が通れなくなってしまっていて、途中の徳田大津ICから乗れるということで、輪島から徳田大津までは下道を通って帰ることになります。

早朝に金沢を出発したので、行も帰りも順調にスイスイと行けました。
もう少し遅く出発していたら、帰りは渋滞していたとのことでした。(早起きは3文のトク!)

のと里山海道は、穴水あたりから亀裂やがけ崩れがありました。
道路の亀裂は、ずいぶん改善されていて段差が修繕されていました。
ただ、海側の車線や盛り土の車線は崩れてしまっているところもあり、復旧はたいへんだろうなぁと素人でも分かる状態でした。

反対車線が崩れていました。

色の違っている部分は生じた亀裂を修繕したところです。

被災地へ向かうための道路の確保は大事だなぁと思いました。


もちろん、電気・上下水道が整うことは必須だと思いますが、そのための資材を運ぶにしても道路がないと直しに行けませんもんね。

朝市の通り。3か月たったのに。

輪島の朝市通り

なかなか瓦礫の撤去が進まないと言われていますが、分かりやすいと言われている輪島の朝市通りやキリコ会館などに行きました。

朝市通りは火事も起こったらしく、車が錆びてしまい、そのままになっていたり、家から出た震災ごみ(というのも申し訳ない気持ちですが)が玄関先に置かれていたりするのを見ました。
生活道路のような道なので道幅が広くはない所に、ゴミが出されていて、車が通りにくい状況になっているのも見かけました。

きっと、この車があったのは、車庫では?錆びてしまいました。

朝市の通り。3か月たったのに…

順調に片づけていらっしゃるのだなと思うと同時に、スピードが気になりました。
3.11のとき、同じ3カ月後の6月に釜石へ行ったのですが、その時と比べると、やはり片付くのが遅いのでは?と思いました。

もし、自分が被災したと思うと、茫然としてしまって生活を再建するというイメージが湧かないかも。
そして、いつまでも被災した時の状態のままになっていると、だんだんと再建しようという気持ちが無くなっていってしまうのでは?
と思いました。
前向きになるためには、何かの踏ん切りがつくようなことが必要で、それは、私だったら家を片付けるというのが大きい要素になるような気がします。勝手な想像なのですが…

まだ生活感が残っていた場所でしたので、なんとも言えない気持ちになりました。

キリコ会館あたり

輪島は北前船の能登半島の拠点で栄えた地域だったとのことです。
輪島塗の文化が代表するように商家も豊かな豪商が多かったのでは?と想像できます。
https://www.kitamae-bune.com/travel/%E7%9F%B3%E5%B7%9D%E7%9C%8C%E8%BC%AA%E5%B3%B6%E5%B8%82/

豊かな能登・輪島では、キリコ祭りというお祭りがあるそうです。キリコは山車(だし)だそうです。

キリコとは、輪島では「キリコとは、切子きりこ灯とう篭ろうを縮めた呼び名であり、直方体の形をした山車だしの一種で、担ぎ棒が組み付けられている。」出典、写真も https://japan-heritage.bunka.go.jp/ja/stories/story004/#:~:text=%E3%82%AD%E3%83%AA%E3%82%B3%E3%81%A8%E3%81%AF%E3%80%81%E5%88%87%E5%AD%90%E3%81%8D%E3%82%8A%E3%81%93,%E3%81%84%E3%82%8B%E4%BC%9D%E7%B5%B1%E8%A1%8C%E4%BA%8B%E3%81%A7%E3%81%82%E3%82%8B%E3%80%82


キリコ祭りも毎年行われているとのことです。

地区同士でキリコを競い合ってつくっていた(そのくらい豊かな地域!)とのことで、壮大なキリコの様子を思い浮かべました。

このキリコが展示してあった「輪島キリコ会館」は2024年4月7日現在、休館していました。
キリコ会館は海沿いにあり、地面が割れ、段差ができていました。さらに、液状化もあったようで、地面がうねっているところもありました。

海岸沿いの遊歩道。分かりづらいですが、段差が10㎝以上できてしまった場所もありました。電柱も斜めになってしまっていました。

そのすぐ近くに仮設住宅ができていました。
ちょっと安心できる場面でした。

たぶん、仮設住宅

仮設住宅の近くになった新築の家は無事!のようでした。
耐震というのは、本当に大切なのだと思いました。(我が家の耐震化は大丈夫?と確認してしまいました)

今回は、タクシーの運転手さんが、何度もお仕事やプライベートでも来ていた能登ということで、いろいろなお話を聞きながらめぐることができました。
土地勘もなかったので、とっても助かりました。
情報量がありすぎて、まだ整理できていません。なんとか、忘れないうちに整理しておきたいと思いました。
また、このページでお知らせできれば…と思います。

今回の視察を何かに活かしていきたいと思いました。
でないと、被災したみなさん、地域に申し訳ない気がしています。
3.11の後、防災に対する気持ちが強くなり、ファシリテーションを活用して、防災のワークショップを企画したり、
どう分かりやすく伝えていけるのか?を自分なりに継続してきました。
今後も、私にできることは何だろう?私たちにできることは?を考えて行動していきたい!と思いました。

 

 

ニュースレター第151号「今年もコミュニティ交流会」

2024-04-02 | ニュースレター

今年度も名古屋市内の各区で「コミュニティ交流会」が行われました。
その中の一部の区でファシリテートをさせていただきました。

各区でテーマを考えて、昨年とは一味違う、その区にあった工夫がたくさんあるワークショップでした。
ご参加の方々には、対話して楽しかった、満足した、これからのヒントになったという感想をいただきました。

ファシリテータ―として参加しても、学びの多い機会でした。

ニュースレター第151号「今年もコミュニティ交流会」ご覧いただけますと幸いです。

 

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福島県浪江町に行ってきました~その2ワールドカフェ

2024-03-29 | ブログ

福島県浪江町のご報告、その2です。
今度はワールドカフェ。浪江町とワールドカフェのつながり…
見えてきました?

さて!今回の大きな目的の一つは、浪江町の職員の方に会うことでした。

浪江町は駅前にF-REI(エフレイ)福島国際研究教育機構を誘致します。
https://www.f-rei.go.jp/

パンフレット表紙
(もう、既に、一部研究者も入ってきているそうです)
この誘致は復興の目玉にもなります。

F-REI、国際的な研究機関がまちにやってくる!ってとっても誇らしいことのような気がします。
愛知県岡崎市にも研究機関があり、地元では、「分子研」と呼んでいます。
正式名は、大学共同利用機関法人、自然科学研究機構 分子科学研究所 です。https://www.ims.ac.jp/
国際的な研究機関らしいのですが、子ども向けに科学のイベントをしてくださったり、地域の人に中をオープンにしてくださる時があったりと地域との接点を持つようにしています。

なんとなく、そのような研究機関が地元にある!というのは、海外からのお客さまも多くて、案外国際都市では?と思ったり、自分も賢くなったような(全く関係ないですが…)気がしたりします。

浪江町の人もきっと同じ様な気もちになる方もいらっしゃるのでは?
そして、心の復興のシンボルになるのかもしれないなぁと思いました。

 

ワールドカフェで!

F-REIと周辺地域が一体となって町ができていくように、F- REI門前町の価値向上・魅力向上勉強会(全4回)とF‐REIの立地を踏まえた浪江町の未来を考える住民ワークショップ(全2回)が行われました。
これらが、なんと、ワールドカフェで行ったとのことなのです!

たしか昨年の4月あたりに、オンラインでワールドカフェの進め方を職員の方にお伝えしたのでした。
ワールドカフェを体験したことがない職員の方が、話を聞いて、イメージして開催してくださいました!

今回、役場をお尋ねして、直接お目にかかり、ニュースレターや報告書を拝見しました。
写真を拝見しても、和やかな雰囲気の中で、楽しく対話できたんだろうなぁというのが伝わってきました。
もう、職員のみなさん、ワールドカフェ マイスターです!
すごい能力とスキルです!

京都市東山区役所:東山区基本計画策定関連事業 ワールド・カフェ「東山区未来の演出家ミーティング」の実施について さん

お二人とお話をしたのですが、メンバーチェンジすることがいいなとおっしゃっていました。
いろいろな人と対話をすると、いろいろな立場、考え方も分かるので、話し合いが和やかで一体感が出てくるとのこと。
一体感があると「みんなが幸せになるには?」を考えやすいのでは?と思いました。

参加した方の中で、ワールドカフェでの勉強会の雰囲気を伝えてくれる投稿がありました。
https://satellite.net.fukushima-u.ac.jp/news/202311013186
ここにも、「和やかな雰囲気の中」とありました。
(なぜか、私もうれしくなってしまいます)

参加した方々が、もっと浪江町が好きになって、もっと積極的にまちづくりに関わってくださるようになることをお祈りします!

震災、放射線の被害からの復興にも、ワールドカフェがお役にたつなんて、
ワールドカフェ好きな私としては、とってもうれしくて、光栄です。

対話しよう!

今、対話の時代と言われています。
暉峻淑子『対話する社会へ』とか、昨日読了した神野直彦『財政と民主主義』にも書かれていました。様々な書籍に書かれていますよね。
そうそう、デビッド・ボウム『dialog』もありました(これは、対話の意義が分かる、ある意味、バイブル(笑))

フリーイラスト] 集会で話し合いをする人々でアハ体験 | GAHAG | 著作権フリー写真・イラスト素材集 - GAHAG | 著作権フリー写真・ イラスト素材集 さん

その対話の進め方の一つがワールドカフェです。
パターンが決まっているので、進め方は簡単。
そこに、いろいろな工夫をします。

その場にいる人たちがお互いに刺激しあって、話し合う。未来を考え、言語化する。
とっても素敵な空間であり、時間になります。

お互いの存在を認めあう空間であり、時間なのだと思います。
対話の後、満ち足りた気持ちになること、ありますよね。

勝手に対話の効果を考えると、お互いの存在を認めあう「承認欲求が満たされる」ことがあるのでは?と思いました。
(『財政と民主主義』にも、これからは所有欲求ではなく、存在を認められる欲求を満たすことが求められるとありました)

これから、もっと対話が求められるようになりそうです。
もっと、ワールドカフェのファシリテータ―のスキルを磨こう!と思いました。


 


 

 

福島県浪江町に行ってきました

2024-03-20 | ブログ

3月13日(水)~15日(金)で福島県浪江町に行ってきました。
2013年4月に福島市周辺に行ったときに、車で通りすぎて以来でした。
(当時は、3.11発生から3年、ほぼ町全域が帰還困難地区だったと記憶しております)
今回は、浪江町にどっぷりと入ってきました。

今の浪江町を見ての感想を大きく3つお伝えしようと思います。

1.国のお金がたくさん入って復興事業が進められているんだ
2.エネルギー転換を図る取り組みが至る所にあった
3.放射線量が本当に低くなってる


1.国のお金がたくさん入って復興事業が進められているんだ
 除染した土地は、ず~っと広く広がっていました。
 震災祈念公園やいくつもの産業団地の造成、除染後の田畑の圃場整備。
 立派な建物。

 そして、駅前にF-REI(福島国際研究機構、通称エフレイ)の誘致が決まり、少しずつ研究者が入ってきているそうです。
 https://www.f-rei.go.jp/

 このエフレイを復興の起点にするようでした。
 浪江町の中で、エフレイが浮いてしまわないように、エフレイ門前町と名付けてまちなかキャンパスを目指しているそうです。

 人が戻って、移住して、素敵な町になりますように。


 

2.エネルギー転換を図る取り組みが至る所にあった
 原発事故で複数の自治体の住民は、住むところを強制的に追われ、無くしてしまったことから、エネルギーの転換を図ろうというコンセプトが見えました、(このコンセプトはどなたが考案されたのかは私には不明です)

 町の中を走ってみると、いたるところに太陽光発電の装置がありました。
 そして、水素エネルギーの送発電の取組がありました。

エネルギーの転換。ここから発信していけると、復興の契機になりそうだと思いました。

工業団地の中にある、水素エネルギーを供給する場所

太陽光発電装置が至る所に


 
3.放射線量が本当に低くなってる

浪江町に行く前は、本当に放射線量低くなっているの?と信じられませんでした。
2015年に福島を訪れた時は、浪江町は帰還困難区域だったので、通り過ぎるだけでした。

とても放射線量が高いので、車から出ないように言われたことを覚えています。

それから13年。本当に人が住めるようになったのか?

ところが、除染を続けた結果…
モニタリングポストでは

ここでの数値は(よく見えませんが)0.04とかあたりでした。

公園を歩いてみても

公園の草の上で計ってみると、0.21

まだ、帰還困難区域は残っているものの、私の自宅と同じくらいの放射線量になっていました。
出かける前に自宅で計ったところ、0.07でした。

まだまだお伝えしたいことが山積!
つづきは次回に。
ワールドカフェが、復興のお役に立ったようです。

 

ニュースレター第150号「久しぶりの対面HUG(避難所運営ゲーム)」

2024-03-11 | ニュースレター

コロナ禍以降。何年振りかで対面でHUG(避難所運営ゲーム)をさせていただきました。
参加した皆さんの熱気。しっかり伝わってきました。
HUGって、こうでなくては!と思いだしました。

お声掛けくださった方のねらいは、HUGのあと、たっぷりふりかえりの時間をとって、今後の備えを菅家ていきたいとのことでした。
いろいろと課題は出ました。優先順位をつけながら、できることからやっていきます!とおっしゃっていたのが、とっても印象的でした。

名古屋市役所の方に、被災地支援の情報もいただきました。
ありがとうございました。

ニュースレター第150号「久しぶりの対面HUG(避難所運営ゲーム)」御覧くださいませ。

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