2016-12-10 | ブログ
この頃、お仕事のご縁をいただいている美濃加茂市さん。
まちあるきはしておかないと!ということで、お天気の良い日に歩いてみました。
トリビアなお話がたくさん聞けました。
その1
美濃加茂市は中山道の太田宿があったところです。
お城はありません。
幕府の直轄地だったそうです。それでお城がないのですね。
その2
美濃太田駅の北側に公園があります。
ここには世界地図が描かれていました。(火野正平さんが「心旅」で2度も訪れたそうです)
その3
太田宿は皇女和宮が江戸へ下る際にお泊りになったとか。
中山道は姫街道と呼ばれているそうです。
姫街道は本街道(東海道)に比べて、難所、厳しい関所があって面倒な時に別ルートとしてあったそうです。
本街道に比べて人通りが少なく、犯罪に巻き込まれる可能性が少ないため、女性が選んで通ったということでもあるようです。
治安が良かったのですね!
今は御祭夏の陣、秋の陣と2回のお祭りがありますが、秋の陣ではお姫様の行列があるそうです。
http://minokamo-kanko.jp/html/onsai_aki.html
この姫行列には6人のお姫様が輿に乗られるそうですが、もちろん、和宮さまもいらっしゃるようです。
言い出せばきりがないほど、いろいろなことを教えていただきました。
そして、豊かな流れの木曽川。
交通の要所で、人も船も行き来した商業で栄えた街だったようです。
中山道会館では、とってもお値打ちなお昼をいただきました。
地元のはちや豚の生姜焼き定食。地元の野菜も地元産でとてもリーズナブルで、美味しゅうございました。
(なんと750円!)
地元の女性が料理してくださっています。
今度は、違うメニューをいただかなくては!
「寿々女」という名のとんかつ屋さんにもはちや豚のとんかつがあります。こちらも挑戦したいのです。(なんでも、お塩でいただくのだとか)
観光には食も欠かせませんもの。
この会館の敷地内にりっぱなシンボルツリー「宿木」がありました。
見ごろはもう少し後とのことでしたが、こんなに茂っているのは珍しいのでは?と思いました。
日本ライン下りというのが数年前までありました。美濃加茂から犬山まで木曽川を船でくだります。
一大観光だったようで、昭和の頃、名古屋からの観光客もたくさん来て、楽しんでいたようです。
この「日本ライン」と名づけたのが明治時代の地理学者「志賀重昂」でした。この地を訪れたとき、ドイツのライン川の景色に似ているということで命名したそうです。
実は、志賀重昂氏は岡崎市に生まれた方だったのです。私は岡崎で生まれ育ちましたので、このお話はよく聞いていました。
親しみを感じつつ、木曽川を眺めたのでした。
もう少し、じっくりと歩いてみようと思いました。
ライン下りの様子です。http://nk.xtone.jp/archives/japan-line-down.htmlより