2024-03-20 | ブログ
3月13日(水)~15日(金)で福島県浪江町に行ってきました。
2013年4月に福島市周辺に行ったときに、車で通りすぎて以来でした。
(当時は、3.11発生から3年、ほぼ町全域が帰還困難地区だったと記憶しております)
今回は、浪江町にどっぷりと入ってきました。
今の浪江町を見ての感想を大きく3つお伝えしようと思います。
1.国のお金がたくさん入って復興事業が進められているんだ
2.エネルギー転換を図る取り組みが至る所にあった
3.放射線量が本当に低くなってる
1.国のお金がたくさん入って復興事業が進められているんだ
除染した土地は、ず~っと広く広がっていました。
震災祈念公園やいくつもの産業団地の造成、除染後の田畑の圃場整備。
立派な建物。
そして、駅前にF-REI(福島国際研究機構、通称エフレイ)の誘致が決まり、少しずつ研究者が入ってきているそうです。
https://www.f-rei.go.jp/
このエフレイを復興の起点にするようでした。
浪江町の中で、エフレイが浮いてしまわないように、エフレイ門前町と名付けてまちなかキャンパスを目指しているそうです。
人が戻って、移住して、素敵な町になりますように。
2.エネルギー転換を図る取り組みが至る所にあった
原発事故で複数の自治体の住民は、住むところを強制的に追われ、無くしてしまったことから、エネルギーの転換を図ろうというコンセプトが見えました、(このコンセプトはどなたが考案されたのかは私には不明です)
町の中を走ってみると、いたるところに太陽光発電の装置がありました。
そして、水素エネルギーの送発電の取組がありました。
エネルギーの転換。ここから発信していけると、復興の契機になりそうだと思いました。
浪江町に行く前は、本当に放射線量低くなっているの?と信じられませんでした。
2015年に福島を訪れた時は、浪江町は帰還困難区域だったので、通り過ぎるだけでした。
とても放射線量が高いので、車から出ないように言われたことを覚えています。
それから13年。本当に人が住めるようになったのか?
ところが、除染を続けた結果…
モニタリングポストでは
公園を歩いてみても
まだ、帰還困難区域は残っているものの、私の自宅と同じくらいの放射線量になっていました。
出かける前に自宅で計ったところ、0.07でした。
まだまだお伝えしたいことが山積!
つづきは次回に。
ワールドカフェが、復興のお役に立ったようです。