2024-06-18 | ブログ
4月に能登半島の輪島に行ってから、2か月。
また、能登半島へ行く機会がありました。
今回は、公費解体が始まった輪島から、半島先端の珠洲まで!
これから、前へ!
能登里山海道は、通れる車線の断裂は(とりあえず)埋まっており、ジェットコースターのようなところもありましたが、なんとか行けました。
道も4月の時に比べて通りやすくなっていました。
(なぜか1台、崩れた崖に頭から突っ込んでいる車を発見!)
輪島市に入ると、家屋はまだまだ倒れたままになっていました。(4月のときとあまり変化がないような…)
でも、朝市通りには、重機が4~5台。
まだまだ、錆びた車があちこちに。
道路まではみ出した震災による瓦礫も少なからずあり、道を通るのが大変!という箇所もありました。
とても、悲しくなりました。
きっと、これから進んでいく!と願いつつ。
そして、初めての珠洲市へ!
今回、ご一緒した方のご親戚がある珠洲市。
お目当ては、もちろん、その方のお宅でした。
*地元の警察署にどの道が通れるのかを聞くのが一番!
なんと、地元警察に行くと、この道は通行止め。こっちの道の方がいいのでは?
など、アドバイスしてくださいました。
(警察署で道を聞く…初体験でした)
珠洲のご親戚のお宅を訪ねた後、近くに1枚残った塩田へ立ち寄りました。
この塩田、ニュースに取り上げられていました。https://news.ntv.co.jp/category/society/ktc6a2d71cc68e40c583fef214390bf161
ここの社長さんは、ご親戚の方と小学校の同級生とか。
思い出話をきき、ちゃんと息子さんの住むところへ移住することをお伝え出来ました。
これも、タクシーの運転手さんが「塩田に立ち寄る?」と言ってくださったこと、
塩田の社長さんとも懇意で、尋ねたご親戚の名前を出してくださったこと
で、ご縁が分かり、懐かしいお話を聞くことができました。
タクシーの運転手さんのお陰です!
日頃のコミュニケーションが非常時に生きてくる。とよく聞きますが、
知人の行方も、日頃のコミュニケーションのお陰で、知ることができるのですね。
情報社会と言われているのに、リアルにコミュニケーションができていると、こんな時にも、うれしい知らせが聞けると思いました。繋いでくれる人の存在が大きいことも知りました。
SNSだけではないのだと思いました。
うれしい知らせがやってくることもあるのですもんね。
・地震の片づけがなかなか進まない…と思ったこと
・日頃のコミュニケーションが復興への大きな足掛かりになる!とは聞きますが、プラスで友人知人の知らせもやってくることもあること
を思った2回目の能登でした。
FAJ(日本ファシリテーション協会)には復興支援室というチームがあります。
https://www.faj.or.jp/activity/reconstruction/
6月の定例会にその中の一人が来てくれました。そのときには七尾市で支援している団体の「情報共有会議」の議事録を取る(もちろん、FAJですので、ファシリテーショングラフィックです)という活動をしていると聞きました。
名古屋市さんが「まるごと支援」と言って、水道や下水、倒壊家屋の調査、消防だけではなく、保健士さんなど広い分野の名古屋市職員を募って、長期間の支援をしています。
https://www.city.nagoya.jp/bosaikikikanri/page/0000171500.html(名古屋市さん、本当にさまざまな分野で職員を派遣されているんだなぁと分かります)
このことを聞いてみると、名古屋市さんの動きは知らないとのことでした。
NPOはNPO!と協働していて、さらに情報共有会議では地元の行政と協働しているのかな?とも思うのですが、
もう少し視野を広げて、協働の相手を考えると、もっと早くもっと快適な避難生活が送れるのかもしれません…
現場にいないので、無責任なのかも。と思うのですが、俯瞰できるところにいるので見えることもあるのではと思いました。
協働しているイメージを勝手に妄想してみようかと思いました。
一日も早く、日常が戻ることを祈りつつ…