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『承認をひらく』は対話の次?それとも前提?

2024-07-15 | ブログ

暉峻淑子さんの最新版『承認をひらく 新・人権宣言』を読みました。
時代の先を見て、必要なことを提示してきてくださった暉峻先生。
『対話する社会へ』の次には「承認」とのこと。

承認をひらく

1928年生まれとのことなので、今年で御年96歳。
96歳でこんなにエネルギッシュなご本を書けるのは、書かざるを得ない!というお気持ちなのでは?とも思うような内容でした。

2017年に出版された『対話する社会へ』では、対話の必要性を説いていらっしゃいました。
平和のためには対話し続けることが欠かせないし、
当時起きていたトンネル事故も対話がなかったことも原因の一つでは。
世界には対話が必要!と問題を提起していらっしゃいます。

対話する社会へ

人間には相互承認が必要

そして、今回の「承認」。
しかも、承認は人権なのだと…

承認と言えば、よく引用される、マズローの欲求5段階説の下から4段階めにある(結構、高次な欲求?)が浮かびます。
このことから推察すると、承認は人間としての欲求で、それが満たされるのは、ある意味「人権」なのかも?と思いつつ読み始めました。

p15で承認の必要性について
「人間は多様な存在であるけれども、多様であるからこそあらゆる機会を活かして、公正さや真実について話し合う相互性を持つ必要があるのではないかと思います。そして、また、私たちは、個人間の相互承認によって自己のアイデンティティに目覚め、相互承認された社会参加の中で、連帯する経験を積み、社会を変革したり、自己実現を果たしたりしていくのだと思います。」
とありました。

相互性がカギということなのですね。
人間は社会的な動物と言われています。きっと「お互い」に承認する、話し合う、しかも対等に。
そのような営みの中で身も心も進化してきたのかもしれません。
この「相互性」のためには、対話が必要となるのですね!

人間として必要なこと

ご本の中では、社会の中では「貧困」と「承認」が重要であることが再三にわたって書かれています。

貧困は政治的な課題であるはずですが、もちろん、人権の問題でもありますよね。
「健康で文化的な最低限の生活を営む権利」は憲法25条にも規定されています。
(これがナショナルミニマムなのか、シビルミニマムなのかという論争があります。が、今回は踏み込まずに)

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(いいね!も承認の一つでした)

そして、「承認」は、社会的な承認とあります。
p19には
「承認の本質は”相互承認”にあるので、上下関係の中で相互承認がどれほど根付き、浸透しているかをみることで、民主主義社会のレベルを図ることができます。相互承認は民主主義の尺度です。」
とあります。
社会の中で、社会の中にいる一人ひとりの存在を認め合うということなのだと思いました。

なんからの理由で相互承認を感じる事ができない(孤独ではなく、孤立してしまう)と、新宿のバス爆破事件や秋葉原の無差別殺人事件のように、何か社会が注目するような事件を起こすことで、最終的な(人生を賭けた)「承認」を得る。となってしまうとのことでした。

小さなコミュニティの中では、存在を「承認」されていることを実感することができたのでしょうが、都会での暮らしの中では、孤立してしまいがち。
どこかで承認し合える関係を努力して持っていないと、簡単に孤立してしまいそうです。
働いていれば、その関係の中で相互承認はある程度、感じられると思います。

介護離職や病気になって退職する(退職しても回復しない状況)だったとりすると、特に都会では孤立してしまうのではと想像します。

透明になること

2024年7月13日の中日新聞のコラム「時のおもり」に哲学者の鷲田清一さんが書かれていることも、言い方は違うけれど、きっと同じことを言っているのだろうと思いました。

抜粋すると
「このところ気になっていることばがある。”透明”。」
この透明とはネガティヴな意味で使われていて、
「だれかの存在が透明になる、つまり見えなくさせられる・・・」
「だれもわたしを気にかけてくれない。声もかけてくれない。そもそもわたしはだれの関心の対象でもない、いてもいなくても他の人たちになんの影響もない存在だと思い知らされるのはきついことである。」
「見えるはずなのに一貫して見えなくされている、そういう社会のしくみを衝いている。何かが可視化することを阻むシステムである。」

なんだか、悲しくなってきます。

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この「透明」は承認してくれる人がいないに通じしているような気がします。
なんと、7月14日の中日新聞日曜版の特集は「動き出した 孤独・孤立対策」でした。
孤独・孤立対策推進法(令和5年6月7日公布)もできていました。(勉強不足でした)
もう、個人のレベルではなく国としても大きな問題なのですね。

そして、参加へ

暉峻先生は、最後には「民主主義は人々の社会参加を前提として成り立っている」なのに、
「個人の尊厳から出発しているはずの民主主義が社会参加の機会を与えず、他者から承認されず、相互承認のない競争者かいでもまれている結果は、自己肯定感さえ持てず、アイデンティティの確立、自己実現を諦め、社会参加の意欲も失ってしまう人を生み出しているのではないだろうか。」p249-250とおっしゃっています。

社会参加することが、透明でなくなる第一歩では?と思いました。
社会への参加は働くことももちろん、含まれていますが、地域社会や(地域とは限らない)コミュニティへの参加も大切な「承認」の機会なのですね。

話が少し飛んでいるような気もしますが…
コミュニティのこと、まちのことに少しでも関わることは、相互承認の場にいることになるのでは?と思いました。
私が大学院で学んでいた頃は、セーフティネットとしての地域コミュニティという考えがありました。
一旦、第一線から引くとしても、地域社会にかかわると孤立しないというようなことも含まれていました。

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さらに、話が飛びますが
ワークショップや参加のまちづくりをしていこう!というときのファシリテータ―のやるべきことが見えた気がしました。
その場に来てくださった方が「相互承認」できる場つくること。
これが安心安全の場なのかもしれません。
それは、「ちゃんとみんなが存在を承認し合っているよという雰囲気があり、安心してあなたの考えたことを話してね。」
という場なのでは?と思いました。
そのような場に行ってみようと思ってもらえるようなこともしていかないと!

こんなことができるファシリテーターが求められるのですね!
改めて、心掛けていこう!と思いました。

 

 


 

 


 

 


 
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