2024-05-22 | ブログ
2024年4月から始まったNHKの朝の連続ドラマ「寅に翼」
日本で初めて女性弁護士になり、戦後初めて女性裁判官になった三淵嘉子さんがモデルになっているとのことです。
明るく前向きに進む寅子に感情移入してしまいます。
初回から欠かさず見てしまいます。
戦前の民法では女性の地位はこんなに低かったのだなぁと思い、
先人の努力で今の女性の地位があったのだと思い、
今はどこまで来たんだろう?と思ったりしつつ。
本当にのめり込んでしまう15分間です。
その中に出てくる「はて?」というフレーズ。これが出ると、ついクスっとしてしまいます。「あ。出るね。」「やっぱり!」と。
このフレーズはファシリテーターとして使える!とも思うのです。
角のない疑問符。
聞こえてきても、心がざわつかないのでは?と感じます。(今度、使ってみよう!)
このドラマによく出てくるのが、
名古屋市にある鶴舞(つるま)公園の噴水と背後にある公会堂。
そして、名古屋市の市政資料館と名古屋市役所。
市政資料館はもともと裁判所でした。ドラマでも裁判所として出てきます。(展示物には、法服もあります)
名古屋市役所(本庁)は、ドラマの大学の廊下として出てきます。
よく見かける風景です。
名古屋市にも、まだまだ古い建物が残って(というよりも使用されて)いることが、うれしく思えます。
今、鶴舞公園はバラ園が満開です。
関係ないですが…
バラ園には、「ベルサイユのばら」の登場人物の名前をもったバラがあります。
フェルゼン、マリー・アントワネット、オスカル、アンドレ…
つい、「ベルばら」を思い出してしまうのでした。
2024-05-12 | ニュースレター
昨年度、各自治体で作成された「不適切保育チェクリスト」ですが、
岐阜県美濃加茂市では「適切なかかわりのためのガイドライン」として作成しました。
https://www.city.minokamo.lg.jp/uploaded/attachment/13103.pdf
前向きに保育ができるようなチェックリストにしたい、という担当さんの想いを実現でき、チェックする現場の保育士さんたちが前向きにそして、保育を楽しんでできるようにという思いを込めました。
そして、学識者の最新の保育情報も入れました。
次のステップへの課題は残ったものの、まずは、チェックリストの完成!です。
2024-05-01 | ニュースレター
ANNUALレポート2023
たいへん遅くなってしまいました💦
やっと完成いたしました。
covid19が5類になり、マスクなしでも!ワークショップができるようになりました。
オンラインの便利なところも活用して行うことができました。
視察も大手を振って行けるようになり、見てみたかったところや、その後が気になっていたところ、見ておかなくては!というところ…
貴重な経験をした2023年でした。
また、子ども基本法が施行されたことから、今まで積み重ねてきた「子どもとのワークショップ」が活用できる場面が多くありました。
未来を担う子ども達の考えをもっと引き出していこう!と企画していきます。
2024-05-01 | ブログ
輪島にいったのは、4月7日。震災から約3カ月…
東日本大震災(2011年3月11日でした)が起きてから約3か月後に、たまたま釜石に行けるチャンスをいただきました。
なぜか、3か月後…
比較してしまいました。
3か月後の大槌町あたりでは、瓦礫もたくさんあったのですが、片付きつつあると実感しました。
輪島との差を感じずにはいられませんでした。
この理由として、よく聞かれるのは、「能登は半島だから」です。
半島なので、先端までいく道が断たれてしまうとその先、行けない。と言われています。
確かに、今回行った道路をみると、震災前に双方向でいけた能登里山海道は、片道のみ。
崩れてしまった道路は崖のようになっていました。
(下道はどうなっているのでしょう?確認しておけばよかった…)
能登里山海道では、重機も動いていて、道路の復旧を急いでいるんだ!というのは伝わってきました。
この道が通じさえすれば!
重機が被災地に入り、悲しいけれど住めなくなってしまった家を片付ける事ができ、復興に向けて一歩進めるのでは?と思いました。
(輪島まで行けるのに、まだ重機が現地に見当たらなかったことがとても残念でしたので)
重機の操作はできませんが…
出来ること、その1
(https://www.nitech.ac.jp/news/news/2023/10871.html)
お世話になっている名古屋工業大学に、建築の北川先生がいらっしゃいます。
先生が開発された「段ボールハウス」が避難所で活躍しているそうです。
ちゃんと個別のスペースができ、保温もでき、組み立てが簡単!
名古屋工業大学では寄付を募っています(もちろん、使途を指定できます)。
で、段ボールハウス1軒分ですが…
気持ちを託しました。
お申込みはこちらへ(https://www.nitech.ac.jp/kikin/donate/index.html)
名古屋工業大学のキャンパス内に北川先生のオフィスになっている「ゲル(と呼んでいます)」があります。
一度、これはなんだろう?とうろうろ見ていた時に、ばったり北川先生に会い、
中に入れていただきつつ、丁寧にご説明をしていただいたことがあります。
プラスチックを吹き付けただけ(?)という簡単な工法らしいのですが、中はとっても快適!
これが、被災地のあちこちに設置されていました。
出来ること、その2
私の所属するNPO日本ファシリテーション協会(FAJ)では、3.11直後にA4用紙、プロッキー、養生テープを車に積み込んで被災地へ行く!という活動を始めた仲間がいます。
避難所でのミーティング、多様な立場の人たちの様々なミーティングの議事録などなど、ファシリテーションのスキルがお役に立つことはたくさんあったようです。
今でも災害のたびに、グッズを持って被災地へ!
メンバーとして誇らしく、頭のさがる活動です。
(プロッキー、とっても使い易いので、お薦めです)
ボランティアでお片付け!は、私が被災者だったとしたら、直接お役にたつ!と思うのですが、
体力に自信がなくなっていくお年頃としては、勇気がでません。
普段から、できること、必要なことをやろう!と思うと、できることは…
ファシリテーションのスキルをbブラッシュアップすること、みなさんに知っていただくことでは?と思います。
という訳で、これからも、ファシリテーションのスキルを磨いていこう!
みなさんに知っていただこう!と心に決めたのでした。
2024-04-11 | ブログ
4月7日(日)に輪島へ行ってきました。今回は「その1」のご報告です。
もともと現地に不案内、そして、道路にどのような地震の被害があるのか?よく分からないので、タクシーをお願いしました。
のと里山海道という高速道路が輪島まで通っているそうです。行は金沢から輪島までこの道路を通れるようになっています。帰りはその道路が通れなくなってしまっていて、途中の徳田大津ICから乗れるということで、輪島から徳田大津までは下道を通って帰ることになります。
早朝に金沢を出発したので、行も帰りも順調にスイスイと行けました。
もう少し遅く出発していたら、帰りは渋滞していたとのことでした。(早起きは3文のトク!)
のと里山海道は、穴水あたりから亀裂やがけ崩れがありました。
道路の亀裂は、ずいぶん改善されていて段差が修繕されていました。
ただ、海側の車線や盛り土の車線は崩れてしまっているところもあり、復旧はたいへんだろうなぁと素人でも分かる状態でした。
被災地へ向かうための道路の確保は大事だなぁと思いました。
もちろん、電気・上下水道が整うことは必須だと思いますが、そのための資材を運ぶにしても道路がないと直しに行けませんもんね。
輪島の朝市通り
なかなか瓦礫の撤去が進まないと言われていますが、分かりやすいと言われている輪島の朝市通りやキリコ会館などに行きました。
朝市通りは火事も起こったらしく、車が錆びてしまい、そのままになっていたり、家から出た震災ごみ(というのも申し訳ない気持ちですが)が玄関先に置かれていたりするのを見ました。
生活道路のような道なので道幅が広くはない所に、ゴミが出されていて、車が通りにくい状況になっているのも見かけました。
順調に片づけていらっしゃるのだなと思うと同時に、スピードが気になりました。
3.11のとき、同じ3カ月後の6月に釜石へ行ったのですが、その時と比べると、やはり片付くのが遅いのでは?と思いました。
もし、自分が被災したと思うと、茫然としてしまって生活を再建するというイメージが湧かないかも。
そして、いつまでも被災した時の状態のままになっていると、だんだんと再建しようという気持ちが無くなっていってしまうのでは?
と思いました。
前向きになるためには、何かの踏ん切りがつくようなことが必要で、それは、私だったら家を片付けるというのが大きい要素になるような気がします。勝手な想像なのですが…
まだ生活感が残っていた場所でしたので、なんとも言えない気持ちになりました。
キリコ会館あたり
輪島は北前船の能登半島の拠点で栄えた地域だったとのことです。
輪島塗の文化が代表するように商家も豊かな豪商が多かったのでは?と想像できます。
https://www.kitamae-bune.com/travel/%E7%9F%B3%E5%B7%9D%E7%9C%8C%E8%BC%AA%E5%B3%B6%E5%B8%82/
豊かな能登・輪島では、キリコ祭りというお祭りがあるそうです。キリコは山車(だし)だそうです。
キリコとは、輪島では「キリコとは、切子きりこ灯篭を縮めた呼び名であり、直方体の形をした山車だしの一種で、担ぎ棒が組み付けられている。」出典、写真も https://japan-heritage.bunka.go.jp/ja/stories/story004/#:~:text=%E3%82%AD%E3%83%AA%E3%82%B3%E3%81%A8%E3%81%AF%E3%80%81%E5%88%87%E5%AD%90%E3%81%8D%E3%82%8A%E3%81%93,%E3%81%84%E3%82%8B%E4%BC%9D%E7%B5%B1%E8%A1%8C%E4%BA%8B%E3%81%A7%E3%81%82%E3%82%8B%E3%80%82
キリコ祭りも毎年行われているとのことです。
地区同士でキリコを競い合ってつくっていた(そのくらい豊かな地域!)とのことで、壮大なキリコの様子を思い浮かべました。
このキリコが展示してあった「輪島キリコ会館」は2024年4月7日現在、休館していました。
キリコ会館は海沿いにあり、地面が割れ、段差ができていました。さらに、液状化もあったようで、地面がうねっているところもありました。
そのすぐ近くに仮設住宅ができていました。
ちょっと安心できる場面でした。
仮設住宅の近くになった新築の家は無事!のようでした。
耐震というのは、本当に大切なのだと思いました。(我が家の耐震化は大丈夫?と確認してしまいました)
今回は、タクシーの運転手さんが、何度もお仕事やプライベートでも来ていた能登ということで、いろいろなお話を聞きながらめぐることができました。
土地勘もなかったので、とっても助かりました。
情報量がありすぎて、まだ整理できていません。なんとか、忘れないうちに整理しておきたいと思いました。
また、このページでお知らせできれば…と思います。
今回の視察を何かに活かしていきたいと思いました。
でないと、被災したみなさん、地域に申し訳ない気がしています。
3.11の後、防災に対する気持ちが強くなり、ファシリテーションを活用して、防災のワークショップを企画したり、
どう分かりやすく伝えていけるのか?を自分なりに継続してきました。
今後も、私にできることは何だろう?私たちにできることは?を考えて行動していきたい!と思いました。