2020-04-23 | ブログ
新型コロナウィルスが流行しております。
世界中でロックアウトを決行する国が増えて、世界が閉じていくようです。
そのような状況の中、ポスト・コロナ、ウィズ・コロナという言葉を耳にするようになってきました。
それはどんな社会になるのか?何か書籍はあるのか?とこちらの本を読んでみました。
『ポスト資本主義~科学・人間・社会の未来~』広井良則、岩波新書、2015年
(https://www.amazon.co.jp/ポスト資本主義-科学・人間・社会の未来-岩波新書-広井-良典-ebook/dp/B014R3S72I/ref=sr_1_3?__mk_ja_JP=カタカナ&dchild=1&keywords=ポスト資本主義&qid=1587650602&sr=8-3)
内容は
5年前に書かれたものですが、今日のことを予見したような内容でした。
定常化する経済(成長が止まる、または低い)の中にあって次のステップにはどのようなことが待っているのか?どのような社会になるのか?について書かれています。
著者は科学哲学も修めたとのことで、哲学を背景とした分析と公共政策学をもってポスト資本主義を考えていくという構成になっています。
大まかな流れは、以下のようになっています。
・資本主義がどのように進化してきたのか
・資本主義とパラレルに進化してきた近代科学
・現代の資本主義の向こうにある、持続可能な社会とは
資本主義の歴史の中で、特に印象的だったのがそもそも資本主義とは何か?です。
・資本主義の起源は、1215年第4回ラテラノ公会議でローマ教会が金利(利子)をつけることを認めたことをもって実質的な資本主義の成立としている(併せて所有権が認められ、合資会社、銀行ができた)p23
・資本主義経済=市場経済+拡大・成長(資本主義経済の前提として、人間が自然を克服、コントロール(消費)して発展してきた。
・その自然の資源としての限界が訪れるときに拡大・成長が止まり、定常化する。
・その後、イノベーションが起こり、次のステップへ。
【寄り道ですが】
貨幣・利子について考えるときに、いつも頭に浮かぶのが、シルビオ・ゲゼル(https://ja.wikipedia.org/wiki/シルビオ・ゲゼル)という経済学者の考えた貨幣についての思想です。(ケインズもこの思想を評価しています)
(https://ja.wikipedia.org/wiki/シルビオ・ゲゼル)
『自然的経済秩序』という論文の中で、貨幣について書いています。
自然界の中で時が経つとすべての物が劣化していくのに、貨幣だけが利子がついて増えていく。なので、人間は自然に反した貨幣が欲しくなる。
逆に「時が経つと劣化(減価)する貨幣であれば、減価する前に手放してできるだけ高値で使おうとする」
という仮説を立てて、ある村で実験し、その村の経済は活性化した。
というものです。
この考え方は、ミヒャエル・エンデ『モモ』にも影響を与えています。
(https://www.amazon.co.jp/モモ-岩波少年文庫-ミヒャエル・エンデ-ebook/dp/B073PPWX7L/ref=sr_1_1?__mk_ja_JP=カタカナ&dchild=1&keywords=モモ&qid=1587650787&sr=8-1)
また、日銀の金融研究所をはじめとした研究所などで研究を重ねてきたリチャード・A・ヴェルナー『円の支配者 誰が日本経済を崩壊させたのか』草思社、2001年にも「お金」について近い考え方が書かれています。(こちらは、お金には陰と陽があり、円、ドルなどの基軸通貨が陽、地域通貨が陰として、陰と陽があることでバランスがとれるのだと)
(https://www.amazon.co.jp/円の支配者-誰が日本経済を崩壊させたのか-リチャード-ヴェルナー/dp/4794210574/ref=sr_1_1?__mk_ja_JP=カタカナ&dchild=1&keywords=円の支配者&qid=1587650948&sr=8-1)
ポスト資本主義の社会では
話を戻して…
下記の図(p223)をお借りすると、
個人は市場経済に対応しており、短期的な時間軸の中で成り立っています。ここでは、個人は分断され孤立しています。
しかし、個人は一人では生きていけず、個人が意識しているか否かではなく、人とのつながり(共同体、コミュニティ)を土台として成り立っています。
そして、共同体は人だけでは生きていくことはできず(食べるという人間の基本的な欲求も満たされません)、自然を土台にして成り立っています。
現代資本主義がこのことを忘れてしまっているのではないかと言っています。
いまこそ、個人が立っていた場所、共同体(コミュニティ)と自然(環境)と共生することになるだろう、とおっしゃっています。
他の方も…
『分かち合いの経済学』神野直彦、岩波新書、2010年
財政学の視点から工業資本主義、金融資本主義が終わり、知識資本になる。個人は人間の欲求である「存在欲求」を犠牲にして「所有欲求」に変えてきた。が、それは代替できるものではなかった。知識資本主義では、「所有欲求」よりも「存在欲求」が満たされる。そのためには存在を認める共同体が必要になる。
分かち合いをしていくこと=個人ではなく共同体(コミュニティ)、自然を土台にするということが必須になる。
ここでは、自然は人間がコンロトールする対象ではなく、共生する対象だとおしゃっています。
(https://www.amazon.co.jp/「分かち合い」の経済学-岩波新書-神野-直彦/dp/4004312396/ref=sr_1_1?__mk_ja_JP=カタカナ&dchild=1&keywords=分かち合いの経済学&qid=1587651031&sr=8-1)
『未来への大分岐 資本主義の終わりか、人間の終焉か?』マルクス・ガブリエル他、集英社新書、2019年
この中でポール・メイソンと斎藤幸平の対談の中に、現在でもポスト資本主義の萌芽がみられると言っています。ウィキペディアのように人々の協働によって成立していることです。この編集には無償で多数の人が携わっています。(資本主義の中ではありえない。同じことを企業が行っても成立しない。)
これは、人々が強制的・義務的な仕事から解放され、無償の機械を使って再生可能エネルギーと天然資源の高いリサイクル率の原料を使って必要なものを生産する。情報技術の発展に支えられて、持続可能な協働経済の完成形がポストキャピタリズムである、と言っています。p255
(https://www.amazon.co.jp/資本主義の終わりか、人間の終焉か-未来への大分岐-集英社新書-マルクス・ガブリエル/dp/408721088X/ref=sr_1_1?__mk_ja_JP=カタカナ&crid=HQS9HYJM8UVW&dchild=1&keywords=未来への大分岐&qid=1587651096&sprefix=未来への%2Caps%2C329&sr=8-1)
3冊だけではありましたが、3者を読んで言えることは、
・工業資本、金融資本の社会から、知識を資本とする社会に移行していく
・そこでは、共同体(コミュニティ)と自然(環境)が人間の生活の土台になっている
ということでした。
コミュニティは従来の町内会のようなイメージではなく、新たな共同体をつくっていく、共同体ができていくということなのだと考えられます。
人と人が対話していくことで共同体の結びつきができていくと思いました。
そして、その対話の場にはファシリテーションの技術が活用されているだろうと。
ということを考えていくと、ポスト資本主義の社会にもファシリテーションは必要だと心を強くしました。
これで、新型コロナによる影響も、新しい社会の到来を促進すると前向きにとらえることができました。
これからも、よろしくお願いします。
2020-04-12 | ブログ
タイトルに惹かれて購入し、積んであった『不道徳お母さん講座』堀越英美、河出書房新社
サブタイトルは 私たちはなぜ母性と自己犠牲に感動するのか でした。
サブタイトルまで読めば、なんとなく深い内容なのか?と想像はできますが、
アマゾンさんのオススメで、メインタイトルを見て、面白そうなのでかる~く読めるでしょうとクリックしてしまいました。
(https://www.amazon.co.jp/不道徳お母さん講座-私たちはなぜ母性と自己犠牲に感動するのか-堀越英美/dp/4309027156/ref=sr_1_1?__mk_ja_JP=カタカナ&crid=H3U74QC4WFUR&dchild=1&keywords=不道徳お母さん講座&qid=1586698630&sprefix=不道徳お母さん%2Caps%2C282&sr=8-1)
内容は
明治維新以降、母親、女性に求められる像の変遷が文学とその作者の背景を根拠として詳細にレポートされています。
まず、第1章は国語教育に埋め込まれた道徳のレポート。
みんなが読んでいた「ごんぎつね」
教科書には必ず掲載されていましたよね。
どうやら、新美南吉の原作とは少々異なっているのだそうで。
(ごんはもっとドライな気持ちだったようです)
テストでは、このときのごんの気持ちは?と心情を察して書きます。
文学での解釈は受け取り手の自由なはずなのに、正解があります。
著者はここに道徳が埋め込まれていると分析しています。
そして、第2章では、その後に展開される「良書」についての検討。
明治のころ、小説は有害メディアと批判されていたこと、
当時は少年と言えば、男の子だけでなく女の子も含まれており、内容は男女共通。
少年雑誌には少女の投稿ももちろんOKという開かれた雰囲気があったようです。
ある意味、男女平等ですね。
ところが、時代が進んでいくと
男女それぞれの役割が割り当てられ、戦争に都合のよい母親像が誘導されていったのです。
(もちろん、裏付けとなるレポートあります)
社会の重圧(今でいう同調圧力?)に抗った文学者たちも紹介されています。
その中でも大きな紙面を割いたのが恋と子育て、文筆活動に生涯をささげた伊藤野枝。
逆に愛国をしたためた北原白秋も何度も登場しています。
(小学校のときに口ずさんだ童謡の本当の意味を知って、おどろきました)
(北原白秋の「からたちの花」こんな花ですね。)
最後に、時代は現代になり、第3章では
1/2の成人式、組体操のルーツや作文の意図などにも言及しています。
現代は、過去の負の遺産を正のように装って引き継がれていることが書かれています。
クリティカルシンキングが必要な理由
目の前にあり、常識でしょうと思うと無批判に受け入れてしまいます。
ところが、受け入れている事には、何かによる大きな意図が埋め込まれていることがあるのだと思いました。
思考方法に「クリティカルシンキング」というのがあります。
健全に批判的に(客観的に)物事の本質を探る
というような意味です。
クリティカルシンキングの研修もあるくらいにビジネスの分野でよく使われているようです。
ふと感じた違和感を「なぜ、このように感じるのだろう?」「この違和感の原因は何だろう?」と
立ち止まって考えてみることなのではないかと思います。
自分と対話してみたり、ノウハウ本ではない本を読んでみたりすることで
違和感の霧が少しずつ晴れていきます。
そして、アハ体験も待っていそうです。
(「あっ!」という不思議なひらめきを感じる事https://dic.nicovideo.jp/a/アハ体験)
家にいることが増えているこの時期なので
じっくりといろいろな角度から考えてみる良い機会になりそうです。
さて、どうしようかな?とお思いになっていらしたら、思索の楽しみを味わってみてはいかがでしょう?
2020-03-23 | ブログ
昨年、お目にかかったこのご本の著者、兼村先生に勧められて拝読いたしました。
実は、ツンドクになっていました。(先生、ごめんなさい)
イマジン出版さんのCOPAブックスのシリーズなので、とても読みやすいもので、読みだしたら一気に読めました。
『市民参加の新展開 ~世界で広がる市民参加予算の取組み~』兼村高文(編著)イマジン出版、2016年
(https://www.amazon.co.jp/s?k=市民参加の新展開&__mk_ja_JP=カタカナ&ref=nb_sb_noss)
財政学者の兼村先生がお書きになった「市民参加」?
申し訳ないのですが、市民参加と財政の関係を最初は理解できず…でした。
よく考えてみれば、財政は何のためにあるのか?を考えると関係は大きいはずでした。
市民、国民の幸せのためにあるのですよね。
これを前提にして、財政の視点から市民参加を語っていました。
市民参加に対して、どのように財政を分配するのか?それを実現するカタチとして世界の中で、日本の中でどのような取り組みがあるのか?について調査報告がありました。
ブラジル ポルトアレグレ市の市民参加予算の概要
一番力がこもっていて、印象に残ったのは、ブラジルのポルトアレグレ市から始まった「市民参加予算」でした。
市の予算は、ご存知の通り、通常、市長:行政が提出した予算案を議会が議論、議決するということになっています。予算案をつくるのは、行政が考えます。
ところが、ポルトアレグレ市では、この予算をつくるところで市民が直接話し合って予算の優先順位を決めていきます。
(https://www.google.co.jp/maps/place/ブラジル+リオグランデ・ド・スル州+ポルト・アレグレ/@-28.9236015,-69.9211741,4z/data=!4m5!3m4!1s0x95199cd2566acb1d:0x603111a89f87e91f!8m2!3d-30.0346471!4d-51.2176584)
(http://himitsu-t.jp/post-269/)
【背景】
ブラジルでは、「社会主義政党の労働者党が総選挙で勝利し政権をとり、1988年に新憲法を制定しました。
軍事政権の下で制限されていた地方自治は、政権交代とともに民主化と地方分権化が進められて強化されました。(p55)」
このような社会情勢の中で、「ポルトアレグレ市では、市長になったドゥトラ氏が市民組織と共に協議を重ねながら市民にとって効果が目に見える仕組みに作り上げていった(p56)」とのことでした。
【目的】(p56)
ということでした。
実際に行ってみると、自分たちの困っていることに優先して予算を使えるので、成果を実感できるようになりました。そうなると、参加者は年々増えていき、より成果を実感できる機会も増える…という循環が出来上がっていったようです。
(抑圧されていた中から立ち上がっていくときに、ここがよくなったなぁ、暮らしやすくなったなぁと感じることは、自分たちの納めた税金がちゃんと自分たちのために使われているということが目に見えてわかる!それは、市に対する信頼ができ、やる気がでてきそうです。)
そして、さらに市民参加が促進される。
(出典:http://jichisoken.jp/publication/monthly/JILGO/2012/07/kanemura_hong1207.pdf)
【課題】(p62)
ところが、この仕組みには課題もありました。
(1年を通して小さな会議から大きな会議まで行われることから、準備から運営まで費用がかかる)
(この予算には立法権がないため、議会での議決を必要とする。そのため議会の予算案にどこまで取り入れるかは議会が決めることになる)
投資的予算の15%ほどが割り当てられていた。
課題はあるものの、ブラジル国内で2005年に少なくとも250都市で導入されているとのことです(p62)。
ここからすれば、課題を越える何かがあるということなのですね。
日本でも、千葉県市川市と愛知県一宮市では、個人の市民税のうち1%は公益活動団体に納税者が指定して、交付できる(p101)ことになっているそうです。
(市川市の1%条例の調査レポート:https://www.spf.org/pdf/publication/other/parcent/3.pdf )
【そもそもの課題】
議会(間接民主主義)と市民参加(直接民主主義)には、それぞれの権限を侵すのでは?ということが懸念されることが多く、ハーバーマス(『事実性と妥当性(下)』未来社、2003年)や篠原一(『市民の政治学』岩波新書、2004年)などもその整理をしています。
(https://www.amazon.co.jp/事実性と妥当性―法と民主的法治国家の討議理論にかんする研究〈下〉-ユルゲン-ハーバーマス/dp/4624011635/ref=sr_1_2?__mk_ja_JP=カタカナ&dchild=1&keywords=事実性と妥当性&qid=1584952676&sr=8-2&swrs=A887FC781716C769A3DF995128F32306)
(https://www.amazon.co.jp/市民の政治学―討議デモクラシーとは何か-岩波新書-篠原-一/dp/4004308720/ref=sr_1_1?__mk_ja_JP=カタカナ&dchild=1&keywords=市民の政治学&qid=1584952603&sr=8-1)
議会を市民が選挙で選ぶのは第1の回路、市民参加は、第2の回路として議会の権限を補完するというような考えが主流の様です。
市民の代表が市長であり議会であるのですが、市民の幸せのために市の予算があるのであれば、直接に市民が意見を言う場があってもよいのでは?とも考えます。
自治体の予算は、行政の領域なので、一般の市民からは遠い存在だと思っていました。
(これも、そもそもの課題ですね。もっと視野を広げないと!)
本当は一番身近なものでもあります。
(予算がつかないと活動ができないこともあるでしょうし、予算が削減されたので、活動を縮小するということもありますよね)
市民参加はさまざまな場面で言われていますが、活動の一つとして予算への市民参加もあるのだなぁと思いました。
ただ、そこに参加する市民がポルトアレグレ市のように貧困層や社会的に排除されていた市民も入っていないと目的が果たせないのだろうなぁと思いました。
日本では、子育て中の方々が何を望んでいるのか?とか、目下のコロナウィルスの影響で困っている人々はどんな人で何を望むのか?なども予算に反映できると成果を感じられるのかもしれません。
議会は、それらが公共の福祉と競合しないのか?というチェックをすることを担う必要がありそうです。
そして、ファシリテーターとしては、さまざまな人の意見を引き出し市民の討議を促進するというところにお役に立てるのでは?と思います。
(むしろ、微力ではありますが、そのために弊社は設立されました)
ハーバーマスの回路では、第2の回路である市民社会の枠内が一番研究が進んでいます。
・討議デモクラシーでは、さまざまな討議の方法があります。(ここは、ファシリテーターが重要なカギを持っています)
・住民投票の場面でも、住民投票前の情報共有から対話までの間に。
(もちろん、第一の回路でも活用したいです)
*意思決定する前には人と人が対話する、話をすることが必要で、そのような場面では、ファシリテーションのスキルやマインドが欠かせないことを再確認したご本でした。
2020-03-12 | ブログ
刺激的なタイトルに惹かれて、読んでみました。
『測りすぎ ~なぜパフォーマンス評価は失敗するのか?~』
ジュリー・Z・ミューラー(訳:松本裕)
(https://www.amazon.co.jp/測りすぎ――なぜパフォーマンス評価は失敗するのか-ジェリー・Z・ミュラー/dp/4622087936/ref=sr_1_1?__mk_ja_JP=カタカナ&keywords=測りすぎ&qid=1584011681&sr=8-1)
著者は、アメリカのカトリック大学歴史学部教授、近代ヨーロッパ知性史、資本主義の歴史をご専門に研究していらっしゃる方です。
歴史学者がいう「測りすぎ」ってなんだと思いますか?
おおざっぱに内容を要約すると、
今の社会、なんでも数値化して、それをもとに評価したり、戦略を立てたりしています。
それで本当に組織やそこにいる人、社会が良くなったのか?という問いかけから始まります。
その検証を歴史学者ならではの歴史的な史実をもとに、大学や医療、ビジネス、慈善事業などの場面に分けて行っていきます。
最後には、数値化する上での心構えやチェックポイントも提起しています。
1.測定執着
測定執着:文化的パターンの一つとして「人々が世界について話すその方法に影響を与え、したがって人々が世界についてどう考えるのか、そして世界でどのように行動するかにも影響を及ぼす(p18)」ことを測定基準への執着(略して測定執着)と呼んでいます。この中には3つの執着の要素があります。
この測定執着の前提は、「測定できるものはすべて改善できる」という考え方から始まりました。
始まりは19世紀の物理学者ケルヴィンの格言「測れないものは改善できない」から来ているとのこと。
これをもとにして、「測れないものは改善できない」→「測定されるものは実行される」→「測定できるものはすべて改善できる」と展開していったとのことです。
そして、今では「実績は標準化された測定に落とし込める」ものと同一視されています。
これを信じる人々が「説明責任」のための「透明化」を求めると「誠実さのためには、可能な限り多くの情報を明らかにし、可視化することが求められているのだと示唆する場合が多い」ということになります。
その結果は、より多くの文書化、さらに多くのミッション記述書、もっと多くの「目標設定」が要求される。
(ことになってきます。
心当たりがありますよね。なんでこんなに書類が増えたんだろう?これ、本当に必要なのかな?とか…。)
そして、これらが実践されたときに起こる意図していない結果が、生じているにも関わらず、その信念が持続している状態を測定執着と呼んでいます。(執着という表現までいっていることが、懸念されているところなのですね)
もちろん著者は、測定することを全く否定しているわけではありません。測定することで解決策を考えることができる場合、問題解決に貢献する場合もあると認めています。
ただ、使い方、活用の場によって負の効果があり、それを分かっているはずなのに、やめられない…。
これは、テイラー主義からきていて、労働者に対して科学的管理をしていくには測定すること、測定したデータに基づいて管理をすることが経営学の主流となったことが背景として挙げられています。
これにコスト主義が加わってさらに数値化されていく…。
2.外的報酬と内的報酬
今は、測定執着が負の側面を見せやすいのが、特に人事面のようです。
報酬を決める際に、組織の中の自分の(部署の)目標と自分の目標設定と達成率がポイントになっているということを耳にすることがあります。
その設定の仕方、達成率の測定方法などにも、たくさんの課題がありそうですが、まちづくりに携わっている身としては、いちばんしっくりくる件がありました。
それが、「外的報酬と内的報酬」でした。
いわゆるビジネスマンと非営利的な組織で働く人々とモチベーションの違いと評価の食い違いです。
外的報酬が効果的な場合
企業は利益を上げる事が目的であってそのために従業員も働いています。なので、従業員は、報酬が増えること、昇進することが目的となってきます。(これで認められたと思い、ステータスになってきます)
ただ、その作業や会社の営みそのものを維持していくための(ある意味)ルーティンの仕事が評価されにくい。
内的報酬が効果的な場合
ところが、非営利的な組織、例えば、学校や大学、病院、政府機関などで働いている人たちの多くは、報酬はないと困りますが、組織のミッションに対して働くということがモチベーションになっています。報酬そのものよりも、教えることで会ったり、研究することであったり、病気を治すことであったり、自分や組織のミッションのために仕事をしていると思われるセクションの人たちがいます。
そのような場で企業のような測定と外的報酬を実施していくと、そこで働く人たちのモチベーションが変化してくるというのです。
外的報酬を目的とした評価→これだけのことをしたら、これだけのお給料しかないのであれば、これだけやっておけばいいでしょう。→組織のミッション達成に近づけるというモチベーションが低下する。
となっていくのだそうです。
外的報酬で実績を向上させられるというのは、当てはまらない場合があるということのようです。
この違いは大きいです。まずは、組織の目的を明確にして、どのような仕事をしてほしいのかを考えた上で測定項目を決定することが重要なようです。
3.測定項目を決めるときに考えること
この本は測定することを前面的に否定しているのではありません。
測定をするときに、こんなことを考えましょう。それをどのように判断していくかも考えましょう。10のチェック項目の提起が最後にあります。
これらをクリアして
重要なのは定量化できない経験と技術。
これを認識して、「測定基準にどの程度の重みをもたせるのか、その特徴やゆがみを認識できているか。そして、測定できないものを評価できているかどうかわかっていることが重要となる。」ということでした。
ファシリテーターを学ぶときにも…
ファシリテーションを学ぶ過程で、必ず出てくるのがスキルとマインド。
スキルは、これができるようになった。あんなやり方があるらしいけど、どうやってやるのかな?と具体的に文字にできる「スキル」があります。
これは、何度かやってみるとできるようになっていきます。
ところが、マインドはなかなか難しいのです。
心構えというか、覚悟というか、何をミッションとしているのか…
文字にしようとすると文字数が増えるけれど、中身はこれだ!と言い切れない。人によって異なる。というやっかいなものです。
でも、このマインドがしっかりしていないと、対話の場をホールドするということが難しいのです。
ファシリテーション協会(FAJ)というファシリテーションを学ぶNPOがあります。
1500人くらい会員がいて、ファシリテーションを学んでいます。
この中でも、対話の場と言われる「ワールドカフェ」や「OST(オープン スペース テクノロジー)」などを参加者にとって気持ちの良い、話ができたなぁ、いろんな気づきがあったなぁというような感想を持ってもらうことができる人は多くはありません。
対話の場にこそ、そこにいるファシリテーターのマインドが反映されてしまうのです。
なかなか定量化、数値化できないところなのです。
説明もこのスキルを持てば、ワールドカフェのファシリテーターになれるというのがないのです。
人間力とかキャラクターとか、とても抽象的な言葉で表現されます。
きっと、著者の言う「言葉にできない経験や技術」がファシリテーターのマインドと近いものだろうなぁと思いました。ファシリテーターとしては、その部分を評価されるととてもうれしいです。
(野中郁次郎さんの「暗黙知」のようなものを評価しましょう!という意味なのかな?と理解しています。)
(https://www.amazon.co.jp/知識創造の方法論-野中-郁次郎/dp/4492521364/ref=sr_1_18?__mk_ja_JP=カタカナ&keywords=野中郁次郎&qid=1584012222&sr=8-18)
ちなみに、私の場合は…
まずは、内的報酬があるのか?(ご指名いただけること自体ありがたいでで。そして、明確なミッションを持ってファシリテーターとしてその場にいられるのか?自己成長できるのか?などなど)ということがとても大きな要素です。
もちろん、外的報酬が多いのもありがたいです。
2020-02-24 | ブログ
小学校6年生に向けて、租税教室をさせていただいていいます。
今年で、もう3年。毎年、少しずつレベルアップさせています。
租税教室とは?
国税庁によりますと、租税教室はなぜ?いつ始まったのか?と言いますと…
「昭和33年以降、全国で、国税庁(国税局、税務署)、地方税関係者及び教育関係者により、都道府県及び市区町村単位の租税教育推進協議会(地方租推協)が立ち上げられ租税教育の補助教材の作成や、租税教室への講師派遣等の活動を中心として活動してきました。」
(https://www.nta.go.jp/taxes/kids/sozei_kyoiku/index.htm)
そして、現在は…
「平成23年税制改正大綱(平成22年12月16日閣議決定)において、「租税教育の充実」について初めて閣議決定され、官民及び関係省庁が蓮k寧して租税教育の充実に取り組むこととされました。
これを受けて、国税庁、総務省及び文部科学省(関係3庁)が協議を行い、平成23年11月16日に「租税教育推進関係省庁等協議会(中央租推協)を発足させ、関係3省庁が協力して租税教育の充実に向けて継続的に取り組んでいくこととしました。
なお、中央租推協の賛助会員として、日本税理士連合会が参加しています。
(https://www.nta.go.jp/taxes/kids/sozei_kyoiku/index.htm)
とのことです。
今では、毎年、租税教室が行われています。
(自治体の税務課の方、税務署の方、税理士さんなどが講師となって、行っています)
租税教室の前に講習を受けます
租税教室の授業をする前に、税務署で講習を受け、「目的」や「方法」などを教えていただきます。
さまざまな教材も充実しており、イメージできるようなイラスト(議会、首長、税務署、市民、救急車、ゴミ処理場などなど、たくさんのステークホルダーのイメージ画像、なんとマグネット付き!)であったり、
「税金とは?」がわかるアニメ(3本)や動画(2本)もあります。(インターネットで見ることができます。
https://www.nta.go.jp/taxes/kids/video/index.htm)
「マリンとヤマトの不思議な日曜日」を見せて頂きました。
(ある日、起きたら税金がない世界になっていて、外に遊びに行くと…
例えば道路を歩こうとすると、「ここは、私の道だから、通行料を払いなさい。払えないなら通さないよ。」と言われたり、
火事が起きていたのに、消防車は有料だからお願いできないので、呆然とする人たちがいたり
悲惨な状況があちこちに起きていました。
考えさせられるアニメです。
そして、最後に実際に行われた模擬授業の動画もありました。
さあ!租税教室スタート!
ファシリテーターとしては、グループ学習をフルに活用するプログラムにしたいところです。
ということで、
・身近な税金クイズ(4択、3問)
・市の税金は、何に使われている?(グループ学習)
・税金の目的(「税金のそもそもの目的はすべての人が幸せに暮らせるため」と言います)
・「もし、あなたが市長だったら、市民の幸せのために税金を何に使う?」(グループ学習)
・ふりかえり
という順番で進めていきます。
3年継続して担当させていただくと、ブラッシュアップしていきます。
今年は、1億円のレプリカも使うようになって、より興味を引く内容になりました(と、手前味噌ですね)。
そして、税務課長さんのオススメで、今年は国税庁の広報の方がいらして…
モデル授業として授業を録画してくださいました。
来年度、どこかで公開されるかも!ファシリテーターとしては、とても光栄でした。
(ご尽力いただいたみなさまに感謝しています。)
子どもたちの反応は
ふりかえりシートを読むと
・学校の施設や維持管理費、教科書も税金で賄われていることを知って、大切に使います。
・みんなの幸せのために税金があることを初めて知ったので、これからは「なんで税金はらわないといけないの?」と思わずに払います。
・市長になったら、みんなの幸せのために税金の使い道を考えます。
など、ほとんどの子どもたちが嬉しいコメントを書いてくれています。
特に、「市長になりたい」と言ってくれる子がいるのは、ファシリテーター冥利に尽きるコメントでした。
租税教室を始めたときは、大人になったら税金たくさん払いますというようなコメントが出てくるとは予想もしておらず、子どもたちの素直さに驚きました。
そもそも、何のためにあるものなのか?の根本のところを理解してもらえると、納得でき、協力しよう!という思いを持ってもらえるのだということが分かりました。
これは、税金のことだけではなく全てのことに通じるものだと思います。
ワークショップを進めていくにあたって、またファシリテーターとして、ちゃんと根本のところを参加者のみなさんと共有して、その上で一緒に考えてみるということが大切なことなのですね。
子どもたちにいろいろなことを教えてもらっている租税教室でした。