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やっぱり『対話のある社会へ』!

2017-05-10 | ブログ

尊敬する研究者の一人(勝手に尊敬しているだけなのですが)、暉峻淑子さんが「対話」についての2017年1月に著書を出版されました。

写真(http://www.chunichi.co.jp/article/feature/anohito/list/CK2017032402000251.htmlより)

『対話のある社会へ』岩波新書です。

https://www.amazon.co.jp/対話する社会へ-岩波新書-暉峻-淑子/dp/4004316405/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1494251311&sr=8-1&keywords=対話する社会へ

https://www.amazon.co.jp/対話する社会へ-岩波新書-暉峻-淑子/dp/4004316405/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1494251311&sr=8-1&keywords=対話する社会へ

 

暉峻淑子さんの書籍『豊かさとは何か』を読んだとき、西ドイツ(当時)の生活の豊かさにふれ、「西ドイツに住みたい!」と思い、ドイツ語会話まで習い始めました。残念なことにドイツ語会話のレッスンは、途中でリタイアしてしまいましたが…。

それほどに影響力のある方が、ワークショップを組み立てる際に大切にしている「対話」をタイトルに出版してくださったことは、大変うれしいことでしたので早速、購入しました。

 

内容の簡単なご紹介

第1章 思い出の中の対話

心に残る対話の体験、対話の中の言葉などが語られています。ただし、対人間だけではなく、本との対話、本の中での対話であっても、対話であると言っています。心に残る人間との対話の経験がないという方もいらっしゃるそうです。

第2章 対話に飢えた人々

暉峻さんがスタートメンバーのひとりである「対話的研究会」のはじまりとその理由、対話のもたらした心や人の変化などが語られています。この研究会に出て、人には人生があり、語ることができる想いや考え、信念をもっていることを体感したと書かれています。人は語ることをたくさん持っているのです。ただ、今まで語る機会が少なかっただけだったのです。

第3章 対話の思想

対話が必要であることの思想的、実証的な理論が語られています。対話は、そもそも人間が自分の存在を確認できる本質的なものであり、人間が求めているものである。そして、平和のためにも対話が続いていることが必要だという帰結に至っています。

第4章 対話を喪ったとき

対話が排除されつつある今、対話がないとどのような不都合が起こっているのか、なぜ日本では対話が根付かないのかについて、事例を挙げながら考察されています。

第5章 対話する社会へ

対話が行われた(試みられた)事例、 その影響、対話を積み重ねた先にあるものなどについて、語られています。労働組合が非正規雇用の労働者を全員正社員にした事例やドイツのプラーヌンクスツェレ、学校教育の現場、道路の拡幅の際の住民と行政の協働の事例などが語られています。最後の一文には「対話する社会への努力が、民主主義の空洞化を防ぎ平和をつくり出しているのです。」と締めくくられています。

 

このブログでも『声の文化』についてhttp://social-acty.com/blog/2231/ や「社会構成主義と対話」http://social-acty.com/blog/1404/ など、対話をタイトルにする書籍のご紹介とともに、ソーシャル・アクティのワークショップの基本的なスタンスとして「対話」を大切にしていることもご紹介してきました。暉峻さんと同じ想いであったことがとてもうれしいです。

 

「対話」は人間が求めているものとは?

この著書の中で、『オープンダイアローグとは何か』『オープンダイアローグ』が紹介されていました。これラの書籍は、フィンランドで統合失調症を対話によって治す方法と事例が書かれています。このように、「対話によって、薬なしで治癒できるとすれば、対話がいかに本源的な人間の本性に根差す行為であるかを思わせる報告」と評価しています。

(https://www.amazon.co.jp/オープンダイアローグ-ヤーコ・セイックラ/dp/4535984212/ref=sr_1_2?ie=UTF8&qid=1494384058&sr=8-2&keywords=オープンダイアローグ)

(https://www.amazon.co.jp/オープンダイアローグとは何か-斎藤環/dp/4260024035/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1494384058&sr=8-1&keywords=オープンダイアローグ)

また、「自分を知るためには他者の存在が必要であることを自覚させてくれるのも、対話の持つ特典かもしれません。」とあります。対話をすることで、自分を確立する、自分の存在意義を考え、気づくことができていくのです。そして、「気づく」前の段階である「考える」ということも対話に伴っている行為です。「考える」ということがなくなっていくとハンナ・アーレントのいう「悪の凡庸(自分の行為がもたらす影響などを考えることを止め、与えられたミッションを粛々と執行していくというような意味)」に陥っていきます。それがたった一人ではなく大半の人がそこに陥ってしまうと…。

「暴力的解決に対する人間的な対処法であり、人間が獲得してきた特権の一つが対話でないかとさえ思われるのです。」とあります。話せばわかる、というよりも、対話をして「ああ。こういう考え方をする人もいるのだなぁ」と多様性を認めるということになります。また、対話によってお互いの信頼感が生まれてきます。違和感や文化の違いからくる気持ちのすれ違いの解決策として、対話が必要だといわれている理由の一つなのでしょう。

「戦争・暴力の反対語は、平和ではなく対話です」これは、暴力的解決としての戦争は対話で防げるだろうとおっしゃっているのだと理解しています。ファシリテーターとして尊敬しているアダム・カヘン氏の著書『手ごわい問題は対話で解決する』にも書かれています。

(https://www.amazon.co.jp/手ごわい問題は、対話で解決する-アダム・カヘン/dp/4990329848/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1494384250&sr=8-1&keywords=手ごわい問題は対話で解決する)

そして、対話によって安心感を得ていること、異なる考えであっても同じ人間という土台を共有していること、なかなか話が通じなくても共存できるという肯定感をもてること、信頼感があること、討論をプラスに生かそうとする意志につながることを強調しています。

 

対話のある社会では、人々は分断されずに、お互いの存在を肯定することができ、人間として共通する土台を理解することで、ひとつになっていくことが出来そうです。

今まで、私なりに勉強してきたこと、実践し感じたことを暉峻さんがおっしゃってくださった。と勝手にうれしくなってしまいました。

対話のワークショップをすると、本当に参加者の皆さんが「くっついて」いくのを感じます。昨年度、関わらせていただいた美濃加茂市のまちひとしごと「カミーノ(女性が活躍する美濃加茂市を目指した地方創生の愛称です)」で、女性だけで考えた7つの事業があります。全部で10回近くワークショップやお試しイベントなどをしました。ほとんどの会を対話を中心にしたワークショップとしました。最後の会で、どのプロジェクトに参加したいかについてお聞きしたところ、ほとんどの方が「どのプロジェクトでもOK」とのお返事をくださいました。たいへんうれしいコメントでした。これは、「くっつく」一つの姿であると思えるからです。

美濃加茂市内でバラバラに生活していた方々が、ワークショップを通して知り合い、語り合ったことで、お互いの信頼が生まれ、事業へのコミットも高くなったのではないかと考えています。「くっついた」のではないかと。

さらに、参加者のみなさんも、対話を求めていたのではないかと感じるのです。ワークショップ中でも、対話の時間はたいへん短く感じるほどに語り合いました。メンバーチェンジをしても、すぐに内容に深く入っていけるのは、みなさんの中に信頼感を伴う対話を求めていたからなのかもしれません。

カフェイメージイラスト[1]

対話に必要なのは

まずは、聴くこと。と書かれています。そして、双方向のコミュニケーション。聴くだけ、話すだけの一方通行では対話にはなりませんよね。お互いの言葉のやりとりの中で違いに気づいたり、その背景に思いを巡らせたり、考え、探求していったりできることが対話と名付けられているのです。

そして、対等の立場にたつ誠実な聴き手が必要とも言っています。誠実な聴き手がいることで、話し手も誠実になり、話し手の考えが引き出されていくと。

 

「対話とは、ただ言葉で話し合うだけでなく、対話しようとする意思、行為のすべてなのだと悟りました。」この言葉を胸に、私のフィールドとして与えられたワークショップの中で実現していけるのか!について考え、試みていくことがミッションなのかもしれないと悟りました。

 


 
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