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『人新世の「資本論」』から

2021-01-14 | ブログ

以前、このブログでご紹介したものに
『未来への大分岐』マルクス・ガブリエル、マイケル・ハート、ポール・メイソン、斉藤幸平編 集英社新書
があります。


(https://www.amazon.co.jp/資本主義の終わりか、人間の終焉か-未来への大分岐-集英社新書-マルクス・ガブリエル/dp/408721088X/ref=sr_1_1?__mk_ja_JP=カタカナ&crid=35YF6G4CNS1BH&dchild=1&keywords=未来への大分岐&qid=1610605169&sprefix=未来への%2Caps%2C264&sr=8-1)​

この編者というか対談の主、斉藤幸平先生(大阪市立大学准教授)が昨年2020年に出版されたご本をご紹介します。


(https://www.amazon.co.jp/人新世の「資本論」-集英社新書-斎藤-幸平/dp/4087211355/ref=sr_1_2?__mk_ja_JP=カタカナ&crid=35YF6G4CNS1BH&dchild=1&keywords=未来への大分岐&qid=1610605169&sprefix=未来への%2Caps%2C264&sr=8-2)

人新世というワードもこの頃、よく目にします。
人新世とは「
ノーベル化学賞受賞者のドイツ人化学者パウル・クルッツェンによって考案された「人類の時代」という意味の新しい時代区分。人類が地球の生態系や気候に大きな影響を及ぼすようになった時代であり、現在である完新世の次の地質時代を表している。」(https://ideasforgood.jp/glossary/anthropocene/)

分かりづらいのですが、どうやら産業革命以降、人間が自然を破壊し気候変動を招いてきた時代は、もはや人類中心の時代であるというような意味かと思われます。

そして、読んだことはないけれど、タイトルはほとんどの人が知っている『資本論』。

ミックスすると、人類が破壊してきた自然のよって気候変動が起きている時代にマルクスの「資本論」を読み直すというような意味ではないかと思いました。

 

どんな内容なのか?

とっても深い内容なのですが、ざっとまとめて言うと、斉藤氏は、刊行されている「資本論」に加えて、マルクスが一生涯の中で書いた論文・本・記事・メモまで見直して、本当は何を考えていたのかを解明する世界的なプロジェクトに参加していらっしゃるとのこと。
そこから、新しいマルクスの思想を紐解いて、現在の世界をとらえ、人の鼓動を変容させるには、そもそも「資本主義」とは何か?お金の動きと人間の行動から問い直さなくてはならない。

そのために必要なものはどのようなものなのか?について書かれています。

今の気候変動もマルクスが見通していたとのことで、それは、資本主義の行きつく先なのだと言っています。

資本主義は欠乏がキーワードで、ある物質を手にしても、その時にはまた新しいものが世の中にあるため、せっかく手にしたにも関わらず満たされない。そして、また、次の新しいものを手に入れたくなり…と永遠に「欠乏感」があり(意図的に生み出し)、この欠乏感をもとに資本主義は発展してきた。というのです。

ということは、逆に「欠乏感」がない「満足感」「潤沢」があれば従来の資本主義からの脱却は可能となります。

そのためには、資本に独占されてきた資本(水や空気、土地、知識など、使用価値はあるが商業的な価値はなかったもの)を「コモン(市民の共有財産)」として、共同管理していくことが今後の社会にとって必要なことなのだと訴えています。

資本主義 – ダ鳥獣戯画

日本にも原型が

昔の入会地(いりあいち)は、周辺に住む人々のもので、気兼ねなく入会地にあるものを住民が使用し、管理していました。今でも「財産区」として近いコンセプトのものが残っている地域もあります。

この対象が、民営化がひたひたと押し寄せている「水」や「土地」「知識」などになり、その管理を市民が共同で行っていく。となると、「資本」が資本家から市民の手に数百年ぶりに戻ってくるということになります。

多様な主体で支える地域の里地里山づくり

ますますファシリテーションが必要に!

この「共同管理」を行うには、話し合いがつきもの!です。

ここに話し合いを促進するファシリテーションがお役に立つ!と期待してしまいます。
(こう考えるのはファシリテーターのサガなのかもしれませんが)

 

お金のことも

もう一つ、気になるワードがありました。

お金のことです。
以前「地域通貨」について論文を書きました。
きっかけは大学院の授業で見たNHKの番組「エンデの遺言」でした。ミハエル・エンデの著作『モモ』という本に出てくる「時間泥棒」が資本主義の宿命なのかもしれないと考えていました。何でもお金に交換してしまう…。


(https://www.amazon.co.jp/モモ-岩波少年文庫-127-ミヒャエル・エンデ/dp/4001141272/ref=sr_1_1?__mk_ja_JP=カタカナ&dchild=1&keywords=モモ&qid=1610605775&sr=8-1)

モモのあらあらすじ

内容をかいつまむと、まちの広場で遊んでいたモモと子どもたち。ところが、急に子どもたちは隣町の塾に行くようになり、モモは一人ぼっちになってしまいます。子どもたちの家にいくとお父さんやお母さんは今まで言ったことがない「忙しい」「無断な時間」というようになっていました。
お父さん、お母さんたちに「時間泥棒」がささやきかけ、時間を奪っていってしまいました。

モモは時間泥棒から時間を取りもどそうと時間泥棒と戦い、見事、時間を人々にとりもどす。というものです。

この番組の中では世界を駆け巡るお金(資本)と生活するのに必要なお金(地域通貨)のことが語られています。
世界中を駆け巡るお金と生活の中にあるお金が同じものだから、問題が起こっているのではないかという問題提起でした。

確かに、実感としても、株式市場で動いているお金と自分の財布の中にあるお金が同じものと思うのはちょっと難しいです。

 

陰のお金と陽のお金

ちょっと古いのですが、ベルナルド・リエター『マネー崩壊 新しいコミュニティ通貨の誕生』という本の中では、お金を根本から見直すことで持続可能な豊かさを目指すことができるとしています。その前提として、お金には陰と陽の2種類あると書かれています。陰と陽があってバランスがとれるだと。(リエターは欧州共通通貨ユーロの誕生に深くかかわった人物です。)

陽は、法定通貨で世界中を駆け巡って投資の対象となるお金。これは持てば持つほど、もっと欲しくなる!(欠乏感を促進する)
陰は、補完通貨(地域通貨)で生活するための交換手段。生活に必要なだけあればいいというものです。ここには欠乏感ではなく、満足感があります。

陰と陽 イラスト素材 - iStock

地域通貨を取り入れている地域では、その運営も必要です。(今では、その運営をAIで行おうとしている通貨もあるようです。)

アプローチは異なっても、なんとなく、資本主義が引き起こしてきたものを是正しようということを思考しているのではないだろうか?と思いました。

 

ひとと人と人が心の豊かさをもって、満ち足りた生活をする。そのためのお金が見直される。そんな時がきたのでは?と思いました。

 

 

 

 

 


 


 
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