2021-05-22 | ブログ
昨夜、NHK「美の壺」でモダン建築の特集をしていました。
(https://www4.nhk.or.jp/P5180/x/2021-05-21/44/31359/2084065/)
普段は30分の番組が90分!
モダン建築好きとしては、見逃せません。
この中には、愛知県にある「明治村」も取り上げられていました。
正確には、明治村の中にある「旧帝国ホテル」が取り上げられました。
(明治村ホームページより)
このホテルは、フランク・ロイド・ライト(近代建築の3大巨匠のひとり)が設計したもので有名です。
とっても複雑なテラコッタの壁面。
このテラコッタは、これまた愛知県の常滑市で複製しているとか…
この常滑市には、INAX LIVEミュージアムというのがあり、旧伊奈製陶の博物館にある「ものづくりミュージアム」で職人さんが複製していました。
(https://livingculture.lixil.com/ilm/)
愛知県の住民としては、「ここ、行った!」とテンションが上がり、あっという間の90分でした。
そして、コロナ禍が
INAXライブ ミュージアム
このところブームのレトロ・モダン建築
レトロ・モダン建築は、このところ、ブームだそうです。
レトロ・モダンといえば、明治大正時代。(大目に見て、昭和初期まで?)
愛知県には、前出の「明治村」があります。
明治村には、明治時代の建物が数多く移築されており、中に入って建築を堪能できます。
モダン建築好きには、至福の時間をくれる場所です。
コロナ禍になる前は、年に2回は行っていたのですが…
旧帝国ホテル(正面だけなのですが)では、中でお茶をいただくことができます。
明治時代にタイムスリップして、複雑なテラコッタ(光の見え方が絶妙)を見ながら、ゆっくりと過ごすことができます。
愛知県内の小中学校は社会見学といえば、明治村は必須です。
(私は、小学校は2回、中学校の遠足で1回、高校でも1回!社会人になっても…)
高校のころまでは、ただ建物があり、中を見ることはできるのですが、展示されているだけ…でした。
建物好きでなければ、あまり楽しくない(ただただ歩き疲れる)場所でした。
聖ザビエル天主堂はステンドグラスの美しさが魅力でした。
(明治村ホームページより)
ところが、大人になってから、楽しさが分かってきました。
まちづくりに関心を持てば、なおのこと!
こんな素敵な建物がまちに、身近にあるというのは、どんなに素敵なことでしょう!?
活用もできるし、住民のアイデンティティにもなりそうですよね。
外から訪れると住民が大切に使っている地域の歴史・アイデンティティを感じます。
愛知県の半田市にある旧中埜邸は平成25年まで紅茶専門店として開放されていました。
(ここでのティータイムも中を見学でき、豊な時間を過ごすことができました)
(https://tabelog.com/aichi/A2304/A230402/23002827/dtlphotolst/smp2/)
モダン建築は、まちづくりの核にもなるのですね。
こういう下心がなくても、モダン建築には、心をぐっと惹かれます。
ぜひ、明治村へ!
まちのモダン建築へ!
当時の職人さん、施主さんの意気込み伝わってきます。一種のパワースポットですね!
2021-05-11 | ブログ
このところ、哲学者のご本が気になっております。
http://social-acty.com/news/page/2/
http://social-acty.com/news/page/6/でもご紹介しています、斉藤幸平氏。
そして、斉藤幸平氏に初めて出会ったのが『未来への大分岐』でした。
(アマゾンより)
このご本は斉藤氏が3人の哲学者と対談しているのですが、その中のお一人が今回ご紹介する『全体主義の克服』のマルクス・ガブリエル氏です。
(アマゾンより)
こちらも中島隆博氏との対談本です。
哲学を深めていくには、「対話」が必要なのでしょう。
ソクラテスも弟子たちと対話で思考を深めていったとか。
素人には哲学論文は理解できなさそうですし、対談(対話の記録)と考えれば、理解しやすさが向上します。
全体主義とは
ご本の中には、「全体主義はすべてを「一(いち)」へと取り込もうとし、他者や他性をめぐる繊細な議論は根こそぎ削られてしまう」P111とあります。
多様性が大切!と言われている今なので、政策や人々の考えや施策は、一人ひとりに寄り添ってほしいと思うのですが、このコロナ禍で窮屈になってきているような気がします。
なので、このタイトルなのでしょうね。
全体主義を克服するためには、「「一」もまた変容し、同時に「全体」なるものが根底的に変容することを構想すること」p111と言っています。
ちょっと難しいですが、たぶん…
これ!と一つのことを決めて、すべてのこと、すべての人をその考え方に取り込むのが全体主義。
この場合、「これ!」に取り込まれないヒトやモノは排除されてしまいます。
でも、この場合の「これ!」だって大きく変化する可能性ってありますよね。
あるある。
あって当然、と認めることから克服できるっていうことなのでは?と思いました。
やはり、言葉にすると難しいです。
対話して深めたくなりました。
意見の相違が社会の接着剤
このタイトルの節がありました。
このタイトルをみただけで、わくわくします。
デビッド・ボウム『ダイアローグ』にも、対話は社会の接着剤だとあったのです。
「違いを認め、対話していくことが人々をくっつける」と。
(アマゾンより)
そして、このご本でも、意見が衝突しても、「対話を続けることができれば、わたしたちは対立を首尾よく収めることができる」p222と言っています。
そして、それは、「わたしたちは、それぞれの心の歴史から衝突地帯をダウンロードし、重なり合う部分をつくろうとしている」ことである、とも言っています。
人と人の意見が違うのは、当然。まったく同じという人は少ない(ほとんどない)ですよね。
対話によって、その違いや背景を知り、重なっている部分を見つけたり、あるいは、つくったりしていこう。
その行為は「普遍性であり、中立性のプラットフォームをつくることです」ということなのでは?
そのプロセスには、やはり、対話がとても重要な行為であるようです。
そして、「未来のための望ましい市民宗教は、強力な哲学的思考と科学的思考を融合させたものであるべきだと思います。」p237
この場合の「市民宗教」は人々がよってたつものではありますが、それは神さまが一人いるというものではなく、市民の生活の中心にある考え方(哲学)ようなもの、と考えてもよさそうです。
哲学と科学が結びついたものが、今後の市民社会・資本主義を大きく変えていくものになるだろうと言っています。
なんだか壮大なことのようですが、何をするにも「哲学」は必要なので、今まで近しい関係ではないような哲学と科学こそ結びつくべきということなのですね。
『ダイアローグ』の著者、デビッド・ボウムも物理学者でした。『祈りの法則』を書いたグレッグ・ブレーデンも物理学者でした。
物理学を極めていくと、対話の底に流れている哲学のようなものに行くつくのかなと思っていました。
(アマゾンより)
さまざまな本の中で「対話」がキーワードになっています。
ファシリテーターとしては、「対話」の意味を深く考えてみることが重要なのではないか?と思いました。
「対話」に対する哲学を学び取っていくことも必要かも。
そのうえで、ファシリテーターができることは、少しでも良い「対話」の場をつくっていけるようにすることだと改めて思いました。
「対話」の場づくりの大切さ、どんな対話が必要なのか?についても考えるきっかけをくれたご本でした。
2021-05-05 | ニュースレター
3月にコロナ対策をしながら、公園でプチ社会実験をしました。
この活動を通して、市民間・市民×企業×行政が協働すると素敵なイベントになること、
交流だけでなく、つながりと言えるようなものができることなどを実感しました。
そして、公園のファンも増えてきました。
反省会では、これから、もっと地域の方々に愛される公園づくりをしていきたいと有志のみなさんの想いが伝わってきました。
この協働の灯を広げていきたいと思った反省会でした。
ニュースレター第116号「公園のイベント、その後」こちらからご覧くださいませ。