2024-06-27 | ブログ
能登半島見学の翌日と翌々日は、FAJ(日本ファシリテーション協会)の年に一度のお祭り(?)
サミットでした。
https://www.faj.or.jp/activity/summit/
毎年、いろいろな都市の持ち回りなのですが、今年は富山!
富山市は初めて!でした。
そして、なにより、旧来のファシリテーション仲間に会える日です。
いつもと趣きが異なる場所(シアター型のホール)で、富山県知事もご挨拶に。
いつもは、もっと砕けた感じなので、サプライズ!
そして、そして、富山テレビのニュースになるという、サプライズ!
基調講演は、三雲先生のウェルビーイングなお話でした。
ウェルビーングを数値で表すと?とデータで示してくださいました。
(もしかして、リーサスにあるのでは?と思ったのですが、残念。見当たらず)
https://resas.go.jp/#/21/21211
ワークショップ その1
さて、その後は、ワークショップ セレクション。
豊田市金谷町でカナヤキャンプという地域の人が集まるコミュニティをつくっている方のお話とワーク。
https://www.facebook.com/kanayacamp/
なんと、金谷町は祖母の実家のあったところです。(今は、隣町に引っ越していますが)
そのことを、ワークしてくださった鬼木さんに伝えると、なんと!引っ越し先も同じ町内!
ご縁を感じました。
さらに、奥様は以前、豊田市でのコンテストにいらした方でした。
(facebookより)
もう、偶然というにはあまりにも…です。
さて、ワークは、システム思考+NVC(ノン バイオレント コミュニケーション:非暴力的コミュニケーション)をいう初めて体験する組み合わせでした。
システム思考は、『21世紀の教育』にもかかれている21世紀を生きていくために子どもたちに必要なスキルの一つだと言われています。
NVCでは共感カードというのを使い、今、私にはあなたがこんな気持ちでいるように思うということを伝えます。
「あ。あるかも」
「いや、そんな気持ちはないと思う」
など、対話しました。
グループの中に信頼関係がないと、難しいワーク。ファシリテーションを学ぶ人たちなので、クリアできたような気がします。
まだまだ、ファシリテーションの奥は深いことを痛感しました。
ワークショップ その2
翌日の朝もワークショップ セレクションでした。
この時は、浪江町のケースメソッド。
浪江町!3月に行った!こともあり、参加しました。
3.11のとき、原発から避難する住民、情報が極めて少ない中で住民の避難を判断しなくてはいけない役所の職員。
20人以上にインタビューして1人のペルソナをつくり、その人(職員)の経験を追体験する、というものでした。
(↑浪江町のゆるきゃら「うけどん」)
いくつかのポイントで、「そのときあなたなら、どうする?」を考え、付箋紙に書きます。
その付箋を組織⇔自分の軸の上にマッピングします。
グループワークでしたので、同じテーブルの方との違いを見て、対話しました。
すると、自分の考え方の方向性や、協働ということなど、適切な場面があるのか?判断は30秒で!など威張りのある中で、いろいろなことを考えることになりました。
ケースメソッドとは、こんな風に使って学ぶ、というよりも追体験や、こんなときどうする?を考えやすいことが分りました。
やっぱり対話が大事なんだ!
対話をたっぷりとした富山のワークショップでした。
話は大きいですが、このところ、信頼されていた大企業が品質問題を起こしています。
暉峻淑子さんの『対話する社会へ』というご本に、トンネルの崩落事故のことが書かれていました。
そこには、なぜ、トンネルの壁を叩くのか?を対話によって共有していれば、目的が分かるので事故は防げるのでは?と提案されていました。
品質保証でも、まちづくりでも対話が大事!と思ったのでした。
そして、今!
FAJのサミットでも対話を大事に行いました。
対話の本質とは何か?
対話とはどのようなことなのか?
について、改めて考えようと思いました。
そして、もっと対話の場を広げて、増やしていきたいと思った富山サミットでした。
行って、よかった💛としみじみ、思ったのでした。
2024-06-18 | ブログ
4月に能登半島の輪島に行ってから、2か月。
また、能登半島へ行く機会がありました。
今回は、公費解体が始まった輪島から、半島先端の珠洲まで!
これから、前へ!
能登里山海道は、通れる車線の断裂は(とりあえず)埋まっており、ジェットコースターのようなところもありましたが、なんとか行けました。
道も4月の時に比べて通りやすくなっていました。
(なぜか1台、崩れた崖に頭から突っ込んでいる車を発見!)
輪島市に入ると、家屋はまだまだ倒れたままになっていました。(4月のときとあまり変化がないような…)
でも、朝市通りには、重機が4~5台。
まだまだ、錆びた車があちこちに。
道路まではみ出した震災による瓦礫も少なからずあり、道を通るのが大変!という箇所もありました。
とても、悲しくなりました。
きっと、これから進んでいく!と願いつつ。
そして、初めての珠洲市へ!
今回、ご一緒した方のご親戚がある珠洲市。
お目当ては、もちろん、その方のお宅でした。
*地元の警察署にどの道が通れるのかを聞くのが一番!
なんと、地元警察に行くと、この道は通行止め。こっちの道の方がいいのでは?
など、アドバイスしてくださいました。
(警察署で道を聞く…初体験でした)
珠洲のご親戚のお宅を訪ねた後、近くに1枚残った塩田へ立ち寄りました。
この塩田、ニュースに取り上げられていました。https://news.ntv.co.jp/category/society/ktc6a2d71cc68e40c583fef214390bf161
ここの社長さんは、ご親戚の方と小学校の同級生とか。
思い出話をきき、ちゃんと息子さんの住むところへ移住することをお伝え出来ました。
これも、タクシーの運転手さんが「塩田に立ち寄る?」と言ってくださったこと、
塩田の社長さんとも懇意で、尋ねたご親戚の名前を出してくださったこと
で、ご縁が分かり、懐かしいお話を聞くことができました。
タクシーの運転手さんのお陰です!
日頃のコミュニケーションが非常時に生きてくる。とよく聞きますが、
知人の行方も、日頃のコミュニケーションのお陰で、知ることができるのですね。
情報社会と言われているのに、リアルにコミュニケーションができていると、こんな時にも、うれしい知らせが聞けると思いました。繋いでくれる人の存在が大きいことも知りました。
SNSだけではないのだと思いました。
うれしい知らせがやってくることもあるのですもんね。
・地震の片づけがなかなか進まない…と思ったこと
・日頃のコミュニケーションが復興への大きな足掛かりになる!とは聞きますが、プラスで友人知人の知らせもやってくることもあること
を思った2回目の能登でした。
FAJ(日本ファシリテーション協会)には復興支援室というチームがあります。
https://www.faj.or.jp/activity/reconstruction/
6月の定例会にその中の一人が来てくれました。そのときには七尾市で支援している団体の「情報共有会議」の議事録を取る(もちろん、FAJですので、ファシリテーショングラフィックです)という活動をしていると聞きました。
名古屋市さんが「まるごと支援」と言って、水道や下水、倒壊家屋の調査、消防だけではなく、保健士さんなど広い分野の名古屋市職員を募って、長期間の支援をしています。
https://www.city.nagoya.jp/bosaikikikanri/page/0000171500.html(名古屋市さん、本当にさまざまな分野で職員を派遣されているんだなぁと分かります)
このことを聞いてみると、名古屋市さんの動きは知らないとのことでした。
NPOはNPO!と協働していて、さらに情報共有会議では地元の行政と協働しているのかな?とも思うのですが、
もう少し視野を広げて、協働の相手を考えると、もっと早くもっと快適な避難生活が送れるのかもしれません…
現場にいないので、無責任なのかも。と思うのですが、俯瞰できるところにいるので見えることもあるのではと思いました。
協働しているイメージを勝手に妄想してみようかと思いました。
一日も早く、日常が戻ることを祈りつつ…
2024-06-04 | ブログ
群馬県片品村にある「尾瀬国立公園」
小学校の音楽の授業で「夏の思い出」を歌っていた記憶があります。
夏が来れば 思い出す~♬
https://www.youtube.com/watch?v=SS1HhhIWIik
とてものんびりと優雅ささえ感じるメロディ🎵
尾瀬に行くと、水芭蕉がたくさん咲いていて「うわ~きれい!」と思いながらのんびりと木道を散策!
というイメージでした。
(こんな感じで、おしゃべりしながら、ゆっくりと散策をイメージしていました。)
履物は連れて行ってくださった方が、スニーカーでもいいけれど、溝の深いものにしてね。できれば登山靴。
とか、傘はあまり役に立たないから、かっぱね。
とか、手袋に日焼け止め、などなど
準備するものを教えていただいていました。
が!
なにせ、🎵夏の思い出🎵のイメージが強くて…
甘く見ておりました💦
ところが、
尾瀬に入山(!)するには、シャトルバスで行く(上自然保護のため)…
そうか、上高地みたいなんだな~と、まだまだ軽く考えておりまして💦
上高地は、大正池あたりから河童橋までは緩やかな登りなので、スニーカーでもOK!
(河童橋からさらに登って明神池まで行こうとするとちょっとキツイですが)
入山していくと、すぐに急な下り。
石の階段というよりも山道…とにかくキツイ
木道になっても、とってもキツクて(木もところどころ腐って穴が開いていたり)気が抜けません。
足元に注意をしていないと、怖くて。周りの景色など見る余裕もなし!
もう、1時間くらい下った気分。
やっと、水芭蕉が見え始めました。
湿地にあるものだとばかり思いこんでいたので、山道にもあることに驚きました。
休憩所(山小屋)まで降りてきて、やっと休憩。ほっ。
(途中であった方が、山小屋あたりで「早朝、子熊が2頭いたんだよ。気を付けてね」と言われて、熊…いるんだ)
平らな湿原に出たら、もう!水芭蕉が見ごろでした。
頑張った甲斐がありました!
大きなものから、小さなものまで満開でした!
お天気もとてもよく。
天国にきた気分でした。
そして、広い湿地にある木道を黙々と歩き…
どこまでも続く木道と山、青い空。
小さな生き物も発見しつつ、ちょっと苦しくはありましたが、楽しい散策(がんがん歩きましたが)できました。
トイレは100円。
1年間で1000万円も維持にかかるとのこと。
自然を守るため!(PayPayもありました)
(東京電力さんが尾瀬の環境保全に取り組んでいることを表しているそうです。
お昼は、宿で用意してくださったおにぎりと草餅をいただきました。
とっても、美味しかった。
お昼、場所から少し足を延ばして…
でも、帰り道は、来る時と逆の登り道💦体力をここで使い切ってしまうことはできません!
汗だくで、黙々と上りました。
戻ってきたときの達成感!
元気なうちでないと行けないことを痛感しました。
水芭蕉、2週間くらいが見ごろだそうです。
すごいタイミングで行けたことに感謝。その日に「おいで~」と設定してくださった方に感謝。
発見もたくさんありました。歌詞に出てくる「浮島」も発見、というか気づきました。終わってみれば、お天気にもお花にも、いろいろな発見!にも恵まれた、とっても素敵な時間でした。
2024-05-22 | ブログ
2024年4月から始まったNHKの朝の連続ドラマ「寅に翼」
日本で初めて女性弁護士になり、戦後初めて女性裁判官になった三淵嘉子さんがモデルになっているとのことです。
明るく前向きに進む寅子に感情移入してしまいます。
初回から欠かさず見てしまいます。
戦前の民法では女性の地位はこんなに低かったのだなぁと思い、
先人の努力で今の女性の地位があったのだと思い、
今はどこまで来たんだろう?と思ったりしつつ。
本当にのめり込んでしまう15分間です。
その中に出てくる「はて?」というフレーズ。これが出ると、ついクスっとしてしまいます。「あ。出るね。」「やっぱり!」と。
このフレーズはファシリテーターとして使える!とも思うのです。
角のない疑問符。
聞こえてきても、心がざわつかないのでは?と感じます。(今度、使ってみよう!)
このドラマによく出てくるのが、
名古屋市にある鶴舞(つるま)公園の噴水と背後にある公会堂。
そして、名古屋市の市政資料館と名古屋市役所。
市政資料館はもともと裁判所でした。ドラマでも裁判所として出てきます。(展示物には、法服もあります)
名古屋市役所(本庁)は、ドラマの大学の廊下として出てきます。
よく見かける風景です。
名古屋市にも、まだまだ古い建物が残って(というよりも使用されて)いることが、うれしく思えます。
今、鶴舞公園はバラ園が満開です。
関係ないですが…
バラ園には、「ベルサイユのばら」の登場人物の名前をもったバラがあります。
フェルゼン、マリー・アントワネット、オスカル、アンドレ…
つい、「ベルばら」を思い出してしまうのでした。
2024-05-01 | ブログ
輪島にいったのは、4月7日。震災から約3カ月…
東日本大震災(2011年3月11日でした)が起きてから約3か月後に、たまたま釜石に行けるチャンスをいただきました。
なぜか、3か月後…
比較してしまいました。
3か月後の大槌町あたりでは、瓦礫もたくさんあったのですが、片付きつつあると実感しました。
輪島との差を感じずにはいられませんでした。
この理由として、よく聞かれるのは、「能登は半島だから」です。
半島なので、先端までいく道が断たれてしまうとその先、行けない。と言われています。
確かに、今回行った道路をみると、震災前に双方向でいけた能登里山海道は、片道のみ。
崩れてしまった道路は崖のようになっていました。
(下道はどうなっているのでしょう?確認しておけばよかった…)
能登里山海道では、重機も動いていて、道路の復旧を急いでいるんだ!というのは伝わってきました。
この道が通じさえすれば!
重機が被災地に入り、悲しいけれど住めなくなってしまった家を片付ける事ができ、復興に向けて一歩進めるのでは?と思いました。
(輪島まで行けるのに、まだ重機が現地に見当たらなかったことがとても残念でしたので)
重機の操作はできませんが…
出来ること、その1
(https://www.nitech.ac.jp/news/news/2023/10871.html)
お世話になっている名古屋工業大学に、建築の北川先生がいらっしゃいます。
先生が開発された「段ボールハウス」が避難所で活躍しているそうです。
ちゃんと個別のスペースができ、保温もでき、組み立てが簡単!
名古屋工業大学では寄付を募っています(もちろん、使途を指定できます)。
で、段ボールハウス1軒分ですが…
気持ちを託しました。
お申込みはこちらへ(https://www.nitech.ac.jp/kikin/donate/index.html)
名古屋工業大学のキャンパス内に北川先生のオフィスになっている「ゲル(と呼んでいます)」があります。
一度、これはなんだろう?とうろうろ見ていた時に、ばったり北川先生に会い、
中に入れていただきつつ、丁寧にご説明をしていただいたことがあります。
プラスチックを吹き付けただけ(?)という簡単な工法らしいのですが、中はとっても快適!
これが、被災地のあちこちに設置されていました。
出来ること、その2
私の所属するNPO日本ファシリテーション協会(FAJ)では、3.11直後にA4用紙、プロッキー、養生テープを車に積み込んで被災地へ行く!という活動を始めた仲間がいます。
避難所でのミーティング、多様な立場の人たちの様々なミーティングの議事録などなど、ファシリテーションのスキルがお役に立つことはたくさんあったようです。
今でも災害のたびに、グッズを持って被災地へ!
メンバーとして誇らしく、頭のさがる活動です。
(プロッキー、とっても使い易いので、お薦めです)
ボランティアでお片付け!は、私が被災者だったとしたら、直接お役にたつ!と思うのですが、
体力に自信がなくなっていくお年頃としては、勇気がでません。
普段から、できること、必要なことをやろう!と思うと、できることは…
ファシリテーションのスキルをbブラッシュアップすること、みなさんに知っていただくことでは?と思います。
という訳で、これからも、ファシリテーションのスキルを磨いていこう!
みなさんに知っていただこう!と心に決めたのでした。